恵心 キレート水 がんと闘う 健康飲料水

ガンが治った、ガンが消えた方の実体験を掲載しています。製品情報はこちら


胃がん

子宮がん

乳がん

 

に、よく効くと知られている健康飲料水です。

薬ではありません。


効きにくいと言われている部位を下記記載いたします。

膵臓がん

胆のうがん

胆管がん

脳腫瘍

肝硬変

 

『 恵心 』の力を熟知し、説明できる販売店 

ご相談連絡先 (石崎)
090-3941-7537

まずは、お気軽に無料相談で情報収集してください。

開発者に一番近い、正規販売店 

- 数十年開発者と共にしてきた経験 -

- 身近な家族や友人も助けられた経験 -

- そして、石崎代表自身の経験(リアル発信中) -

無料相談

恵心は飲み方が非常に大事!種類もあります。どの恵心をどのくらいの量と期間飲み続け、変えていくのか、お客様とともに、情報とともに。他、食生活との組み合わせ(食べてはいけない食材)など、アドバイス、ご提案いたします。

体験談例(下記クリックで開きます。)

~㈱カインド代表 石崎の母の胃がんと『恵心』出会い~ (開く)

㈱カインドが『恵心』を一番身近に体験した実話、そして『恵心』の力を確信した瞬間。

~ 『私』= ㈱カインド代表(石崎)の母の胃がん 実話 ~

私の母が当時70歳の時、検査でガンかも知れないとのことで、病院に私がついていくことになりました。

当時母は、入院は嫌なので、断って欲しいと行く前に話されておりました。

病院で、詳しく見てもらい、胃カメラを取ったところ、私は驚きました。胃の全てが、赤と黒のバラが咲いたような胃の写真で、ピンクの部分がありませんでした。

先生よりステージ4、その日の内に入院するように、また化学物質(抗がん剤)治療とのことでした。

本人は嫌がり、帰ると聞かない為、私も、あくまでも自身の周りの体験の話ですが、

抗がん剤治療で治ると聞いたことがなく、母の年齢もあり、一度先に木村先生にも相談したいと、その日はとりあえず母の言い分を聞き入れてもらい病院を出ました。

この度の母のガンの部位が”胃”であり、『恵心』の力が発揮しやすい部位であることを知っていたこともあります。

さっそく、木村先生の所へ行き、髪の毛を採取されました。

髪の毛を調べて、ガンの進行状況が分かるとのこと。

それから母は、毎日『恵心』を飲み続けました。当時VSG(VSガン)とも呼ばれていました。

実際は『VSG』と『恵心』は違います。『VSG』はある菌が入っており、『恵心』はその菌がいません。

それから一ヶ月に一度髪の毛を先生に送ることになり、また常に経過を報告しておりました。

母は食事しても良いもの、悪いものもきちんと守っており、2ヶ月後の髪の毛の検査で先生より数値が下がり、順調に良い方向であることを聞いてました。

しかし、それから2週間後、母は食べてはいけないものの一つ『みかん』を大量に食べた後が見つかり、母に怒りました、なぜ?と聞くと食欲がすごくあり、ついつい大好きなみかんを隠れて食べてしまったようです。

そこで、すぐ先生に髪の毛の検査をしてもらったところ案の定、数値が上がっておりました。

またこの『恵心』の金額も母に伝え、もとの食事と『恵心』をまじめに言われたように飲むようにしてもらい、そして2ヶ月後の検査で、ガンは消えているとのこと。

さっそく、前に見ていただいた病院へ行き、胃カメラを撮ってもらい、見せていただきましたところ・・・


病院の先生もびっくりされていました。『5人のドクターがいました。』私も見ますと、正常なピンク色の『胃』あれだけ、4ヶ月前の黒や赤のバラが咲いたような『胃』の写真と比べ物になりません。

病院の先生より聞かれましたが、私は答えませんでした。

当『恵心』の存在を話すと、医療業界で叩かれ、製品を使わせない運動がおこることを知っていましたので。

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~乳がん ステージ4と宣告され~ 株式会社カインドへ直接ご相談2件の実例

2016年11月中旬 ㈱カインドに一本のお電話が入りました。
75歳女性H様【キレート水 恵心】を分けて欲しいとのことでした。
「実は、私はステージ4の乳癌を現在患っております。」

㈱カインドに電話をかけるまでの経緯をお話しいただきました。また克服するまでの電話取材に応じていただいた記録です。

「自転車で一昨年(2015年)にころんだんです。肘を打って。これが原因で鎖骨のところがリンパだからふくれていたのかなと最初はおもっていたんです。それでほっておいたら、去年の8月に普通の病院にいってみていただいたら、手に湿布などの簡単な話ではないと言われ、またその前にバストに”しこり”があるなとも思ってはいたことも話して、すぐに紹介状を書いていただいて、専門の病院にいきました。それが2016年9月1日ですが、いろんな検査を受けた結果、乳がんでステージ3~4と言われました。鎖骨が膨れていたのは転移していたのが原因でした。」

「恵心へのきっかけは、5年前、歌手Yさんが食道癌に罹られた時と同じくして、私の友達が、同じ病気にかかりました。それで成人病センターで、切らなければならない。また声がでなくなりますとも言われたそうです。するとその友人の娘さんがネットでいろいろ探して、【キレート水 恵心】にたどり着き飲み始めたようです。
そしてその半年後、大学病院で結局切られたのですが、そのとき、“癌がえらいちいさくなっている”と言われたそうです。ですので、友人は抗がん剤は今もされておられないのですよ。」

「私の場合は友達が飲んでいたのを知っていたので、私が癌になったというのを話すと、“【キレート水 恵心】を飲んだら”と勧められました。名前だけ聞いて、インターネットで調べてそれで電話したのが、カインドさんだったんです。」

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他のところでは、効果的な飲み方や併用して食べて良いもの悪いものなど、何の資料も添付されておらず不安になり、枝葉の販売会社では知らないだろうと思い、もっと製造元に近い会社を調べようと必死の想いで検索を続けておりましたら、㈱カインドのホームページにたどり着きました。当ホームページは今まで見た商品が載っていただけのホームページとは違い、
商品の開発者から体験談など、丁寧により詳しく掲載されており、また商品説明について問い合わせができる窓口が名前付きで設置されており、それで電話をかけたということです。それでそこから恵心を飲み始められました。(2016年9月から)
~~~~~~~~~

■2017年6月29日 Hさんと電話にて「実は私は2017年2月に手術をするということになっていたんですよ。
それでね私は手が上がらないのに、手術をして、リハビリどころの話ではないと手術をお断りにいったんです。
そしたら病院側も、はい分かりましたとのことで、抗がん剤はしないで、ホルモン剤?アミドテックスとかいうものを1日1錠のんでるんですね。」

「それで1ヶ月後に検査にいったら、先生が“癌があるのにもかかわらず、血液検査がすごくいい”と先生が言うのですよ!
それでこれを続けて3ヶ月毎に検査にいくことになっているんです。次は7月3日に3ヶ月検診に行くことになっております。」

「今食欲がすごくあるんですよ。それでね、鎖骨のところを触ってみたら、前は全然触らなくても、ぷくっとふくれていたのが分かるぐらいだったのですが、もうわからなくなったんですよ。」
「それとバストの方は、今あずきの大きさぐらいは感じるんですね。いまだに。そういう状況です。」
「次7月3日検査に行くのが楽しみなんです。」

(目に見えて治っていく経過が分かるということですか?)

「そうですね。前はすっごく痩せていたんです。体重がえらい減っていてなんでかなと思っていたんですが、恵心を飲みだしてから、元の体重に戻ったのが3ヶ月前かな。ただ歳がいってますので、実は今75歳なんですね。8月で76歳になるんですね。
それで、言われたとおりに飲んで、今良い結果がでてるんだと思います。今でも飲んでおります。」

「カインドさんから直接話を聞いたもので、量は一回何CC、1日何回飲んでください。とのことで今もそれを守り続けております。」
飲み方、食べて良い物、悪い物等道しるべをいただき、【キレート水 恵心】を飲み続けております。

Hさんは初め39mmのガンが、半年後5mm(大豆ぐらいの大きさ)になり、それから半年間は大豆ぐらいから小さくならなかったところ、錠剤タイプの恵丹(けいたん)を併用したところ、1ヶ月経過せずガンは消えました。
恵丹(けいたん)は 一日20錠程飲みました。
結果ステージ4が、1年と1ヶ月で、克服されました。

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上記までの体験談と時同じくして、H様から初めて電話をいただいた2日後のことです。
㈱カインドと取引させていただいている化粧品メーカーの担当者が来社され、㈱カインドの応接室に掲載している【キレート水 恵心】の資料が貼られてあるのを見て、「癌が消えるのですか?」と素朴な質問をされたので、詳しくご説明をしたら、「ウチの企画部N君の義理のお母さん(66才)が乳癌でステージ4である」と話をされたので、【キレート水 恵心】のことを教えてあげるように言いました。おそらく担当者も、その時は疑いもあると思っているように感じましたが、この商品の話をされたようで、翌日に化粧品メーカーの担当者から注文連絡が入りました。実はすぐにパソコンで相当調べたようで、ご本人も一度試そうと、藁をも縋る気持ちで注文されたとのことです。
経緯は記載できませんが、H様と同じく、現在 乳癌でしかもステージ4にあった方が、乳癌は消え、健康を取り戻されております。

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~㈱カインド 従業員の子宮ガンと恵心の出会い~

㈱カインド 従業員と恵心の出会い

従業員山本さん(現在退職)が恵心と出会い、子宮ガンを克服した実話。

山本さんは、当時39歳、千代田生命で勤務し、営業廻りで、㈱カインドを訪れました。

営業の話、商売の話の中、『キレート水 恵心』の話をいたしました。

薬事法もあり、『恵心』がガンを消すという話はご法度ですが、実例として数々のガンの克服があり、著書になっており、山本さんに話をいたしました。

当時、山本さんは『うそでしょう』と、疑っておりました。

3ヶ月後、山本さんが訪れ、山本さんが子宮ガンになったとのことを言われました。

とりあえず木村先生のところへ相談へ行こうとなり、『恵心』を初回に飲んだ際に、 好転反応と呼ばれる一時的な身体反応が出るか試してもらいました。

50m飲み、様子を見たところ、好転反応が出ました。

好転反応が出ると、『恵心』を飲んでガンを克服する可能性が高い為です。

先生は『恵心』の飲み方、食事で食べて良いもの、悪いものを山本さんにお話しし、経過をともに見守っておりました。

2ヶ月半後、ガンは消えておりました。 山本さんは、これをきっかけに、『恵心』をもっと知っていただく為、千代田生命を退職し、現㈱カインドに就職し10数年『恵心』の販売に携わってきました。

自身で体験し、ガンを克服した自分自身が証明、実話として。



ガンと闘う 恵心

恵心は良質の大豆とトウモロコシを主原料にし、長時間バイオ発酵させ抽出濾過した後、 中国4000年の昔から高貴なお茶として珍重されていた杜仲、 そして滋養豊かな万能の食品である朝鮮人参を加えた、高級健康飲料水です。


このような症状の方に


Q&A


期待

免疫力アップ 超低分子(キレート状態)のアミノ酸がミネラルを血中に運ぶ
元気 新陳代謝が上がり体全体が活性化
疲労緩和 アミノ酸本来の力で血液サラサラ
体内活性 アミノ酸+ビタミン+ミネラルの力 健康サポート  食事で摂取した栄養素が体の隅々まで行き渡る

開発者

開発者 木村先生のプロフィール

木村謙二(きむら・けんじ)先生 
木村微生物研究所・代表 大阪府立大学農芸工学(微生物学)卒業。
「水」と微生物分野での研究を続け、有機肥料及び有機液たい肥化などの指導、環境有機公害物質の処理システム(微生物処理)での指導を行なう。人の自然治癒力を高める上でミネラルの体内への吸収が大きな働きをしていることに注目し、 ミネラルを吸収しやすいアミノ酸キレートにする働きのある「キレート水」を開発した。このキレート水が難病に効果を発揮し、大きな注目をあつめている。

解説 キレート水の不思議なパワー

 PDFダウンロードはこちらをクリック

キレート水 体験談

※「キレート水」の開発者「木村謙二先生」著作及び監修の本より、 許可をいただき一部体験談を引用しております。
(あくまでもご参考まで。)

 

「新 もうガンは怖くない」
(著)木村微生物研究所 
所長  木村謙二
(監修)鹿児島大学客員教授  医学博士 矢野原良民


「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント
(著)相沢克幸
(監修)木村謙二 山田義帰

体験談例(著作本より)

体験談 その1 ~3cmのガンを発見。1ヶ月半で治癒。~

「新 もうガンは怖くない」 第1章より

※微熱、心臓病、目まい&検査

 最初のレポートは大阪市在住のF・K氏、発病当時50歳。現在55歳。実業家ですが49歳の時に経営する事業が倒産においこまれ、そうした心労も自然治癒力を低下させたのでしょう。肺ガンになってしまわれました。
 私とのご縁はそれ以前からずっとあった関係で、ご自身の体調について相談のお電話をいただいたので、「寿量」の飲用を勧めました。以下は当時の日記を元に書いていただいたレポートです。


 「先生、それはどのくらいの大きさですか?」
 「約3cmですね」
 平成6年8月11日、大阪S病院で、私は妻と娘を前に、自分の胸の写真にもかかわらず、何か他人事でもあるかのように、白く円状に写っている影像を見つめていました。
 そして、約1ヶ月後に、この影像は劇的に消えることになります。発端は1ヶ月半前の6月28日にさかのぼります。
・6月28日
 発熱39度。夏カゼと思い近くの薬局でカゼ薬を購入。3日ほどで熱は少し下がり、37.5度の微熱が続く。頭の芯が重たい。従来のカゼなら3日ほどで治るのに、その後1週間たっても熱は下がらない。町医者で注射してもらい処方された薬も飲んだが、まだ下がらない。
・7月16日
 朝、急にドーンという感じで心臓に激痛がはしり、冷や汗がで、天井がグルグルまわり、目を開けられない状態になる。
 てっきり脳がプッツンしたと思う。
 1時間ほど休憩していたら、少しふらつくものの、だいぶ楽になってきたので、N総合病院に行った。土曜日で11時を少し過ぎていたが、むりやり頼み込んで診てもらう。尿検査、血液検査、胸部レントゲン検査を受ける。
・7月21日
 レントゲン検査の結果、左胸に異常があるとのことで、CT検査の予約をとるように指示される。
・7月27日
 胸部CT検査。結果は8月3日とのこと。以前から「寿量」の意義を熱心に説いていた親友の木村氏に電話で相談してみると、「たとえガンであると判っても、全てに先立って重要なのは自然治癒力の向上。それが克服のための基礎だよ」と熱心に口説かれて、「寿量」をとにもかくにも飲用することにする。


※検査結果がわかる前から引用を開始
・8月3日
 検査結果がわかる日であるが、母の用事でどうしても病院へ行けずにいた。夕方になって病院から電話があり、6日土曜日には必ず来るようにとの、娘からの伝言。
 体調は依然として悪く、わざわざ病院から電話があったということは、ある程度覚悟していたものの、動揺する。
 「寿量」が到着したので、1日3回、食前に50ccずつ飲用を開始する。
・8月6日
 N総合病院に行く。担当医より「左胸部に異常。当病院で継続して診るのもよいが、成人病専門のS病院の方が専門医と設備がそろっているので、紹介する」とのこと。レントゲン写真および紹介状の入った袋を渡され、11日にA先生を訪ねるようにとのこと。


※ガン告知。動揺はなかった
・8月11日
 S病院に妻と娘と共に行く。血液検査のための採血を先に受け、持参のレントゲン写真(全体3枚、CT6枚)の中からCTの1枚を前にして、説明を聞く。
 1枚に9箇所の写真があり、その中の3箇所に白く円状に写った影像があった。説明の要点は次のとおりであった。
(1)位置は、心臓の横・左横隔膜のすぐ上。
(2)大きさは約3cm。9割以上の確率でガン。
(3)骨に転移していれば手術は難しい。
(4)良性であれば、今の技術で治せる。
とのことであった。
 妻・子供・本人の前で告知するのが今の流儀かな?7月16日に心臓が痛み目まいに襲われた理由がわかり、変に納得。
 再度精密検査が必要とのことで、脳のCTとエコーはN総合病院で、呼吸機能/ブラッシング/アイソトープはS病院で予約するようにとのことで、そのとおりに予約。
 帰路、ガンと告知された割には動揺してない自分に気づく。思えば、N総合病院からS病院に回された時点で、心の準備はできていたと思う。
 1年半前に会社を倒産させてしまったこと、それまで自分の好きな事を結構やっていkたこと、それに子供たちはほぼ成人に達していること等を踏まえて、「50歳で人生が終わるのも、私の宿命なのかな」と、勝手な理由づけをしていた。
 また、そう思わざるを得ないほど体調はずっと芳しくなかった。


※ゲーゲーしながらの検査
・8月13日~15日
 お盆なので家族と共に親類に行く。15人が集まってバーベキュー・パーティー。ガンを公表できず、かといってワイワイ騒ぐ気にもなれずにいた。この間ずっと「寿量」の飲用はつづけてきた。
・8月19日
 検査1。呼吸機能。簡単な検査ながら午前中かかる。
・8月22日
 検査2。ブラッシング。S病院で午後1時より胸検査。患者さんは20名。私と60歳の男性2人だけが、カメラを飲んでの検査。その他の人達は胸の外からカギのような道具で胸の細胞を採るらしく、人数が多いのに早く終わっている。
 私と同検査の60歳男性が先に呼ばれた。扉の向こうからゲーゲーという苦しそうな声。とても大変そうで他の人がうらやましい。
 1時間半後に私の名前が呼ばれた。前の人同様、麻酔注射にゲーゲー言いながら診察台に乗せられる。目隠し。
 鼻からカメラを入れられる時、ノドから胸にかけて圧迫感があるが、意外にスムースに入るな、と思う。気配で担当医が頭の方で機器を操作しているのがわかる。
 担当医は、ガラスの向こうにいる部長とマイクをとおして会話しているのだが、それが耳に入るようになる。
 どうやら、予測していた位置に病巣が見当たらないらしく、「もう少し右」「もう少し左」「その辺りだ」と言い合っている。
 やっと終わった。検査室前の廊下にベッドが用意されていて、「1時間ほど休んでからお帰り下さい」と看護婦から指示される。
 休んで30分ほどした頃、担当医が来られて「本日の検査では該当する位置に異常は診られなかった。どちらにしても、以降に詳しい検査を行います!」と言い残して去っていった。
 その時はじめて「アレレ・・・・ひょっとしたら・・・・、「寿量」の・・・・」と思った。帰宅OKは午後5時前。


※検査では異常認められず
・8月23日
 検査3。検査4。N総合病院で脳のCT検査、主に腹部のエコー検査。エコー検査では異常無しとのこと。
・8月24日~25日
 検査5。アイトソ^プ。1日入院しての検査。24日午前9時半~25日午前11時まで。夕食後の6時過ぎ、地階の喫茶店にコーヒーを飲みに。
 エレベーターで地階に降り、喫茶店まで歩く間、頭がクラクラする。喫茶店に入っても椅子に座るまで赤ちゃんみたいなつたい歩きになる。
 店内を見渡すと、同じ検査を受けている2人の女性が、スタスタと入店し平然と椅子に座る。
「まだまだ安心できないか・・・不安だな・・・」と思う。
 夜、年配の看護婦さんが、1人部屋の病室で横になっていた私を見回りに来る。「今は技術も進歩していますから、手術といっても簡単ですよ。」と慰められる。
・8月27日
 N総合病院の脳CT検査結果は異常無し。
・8月29日
 S病院。担当医が部長に替わる。4つの指示。
(1)今までの検査では異常は認められない。
(2)取り敢えず薬をだす。
(3)胸のCT検査の予約をするように。
(4)9月9日に同意書を持参するように。
とのこと。


※完治と告げられ、生への執着増す。
・9月9日
 検査6。午後1時に胸部CT検査。N総合病院とちがい30秒ほど呼吸を止め連続で撮る。設備の違いを感じる。結果は12日。
 そういえばいつの間にか微熱がなくなり、頭もいくらかスッキリしている。水不足と空前の猛暑だったため、クーラーが何処でもいつでもかかっていて、その風が重たく感じられ、苦痛に思えていた2ヶ月だった。それがウソのように、今は苦痛に感じていない。12日が待ち遠しくなる。
・9月12日
 S病院。担当部長よりCT写真を見せられる。N総合病院で撮ったCT写真と見比べる。
 以下、担当部長のお話の要点。

S病院のCT写真には、あるべき位置にあるばずの影が無い。完全に消えている。わずかに小さな星のようなものが、2つほどポツンポツンとある。

N総合病院の写真を見れば、10人が10人「ガンです」と診断する。(これを何度も言った)

結論をいうと、「全ての検査で異常が見られなかったので、完治した」と思われる。

 と何とも歯切れの悪い言葉で話された。最後に、N総合病院から預かった写真に手紙を添え、「N総合病院に返すように」と言われる。
 私も、先生に色々と質問する積もりでいたのをすっかり忘れ、ただ呆然と目の前のCT写真を見つめていた。


 以上が、肺ガン発見から克服にいたる“一夏の経験”でした。平成6年の関西は猛暑でしたから、いつもの夏にもまして大変でした。
 あの時以来、「寿量」も飲用を止めるのが恐ろしくて、今もずっと飲用をつづけています。
 病院でガンと宣告され、案外冷静に受け止められ、そして一度はあきらめたわが人生ですが、「完治した」と言われて以降は、日が経つうちに生への執着が増したように思います。

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体験談 その2 ~ C型慢性肝炎&肝硬変&肝ガン ~

「新 もうガンは怖くない」 第1章より

次に紹介するのは、大阪府在住のO・T氏(64歳)。肝臓ガン治癒の体験です。レポートを書くことが不得手とのことで聞き書きしました。
 聞き書きする上でとても有難かったのは、症状の推移を示す病院発行の「検査報告書」を数年にわたって保管しておられ、それを元にして聞き書きができたことです。誇張のない確かな経過をお伝えすることができます。


 平成7年3月17日に「寿量」に出会いました。私の病状を知っている友人が紹介してくれたのです。
 以前よりC型慢性肝炎で、病院でミノCやインターフェロンの投与など色々な薬物治療を受けてきたのですが、とうとう肝硬変に進み、さらに肝ガンになっていました。
 平成7年2月28日の検査値の一部を抜き書きすると、次のようになります。
  GOT=111
  GPT=149
  腫瘍マーカー値=434.7(フエトプロテインRIA法 以下同じ)


※マーカー値は40%低下したが
 それより9ヵ月前、平成6年6月6日の検査では、正常値20以下であるべき「腫瘍マーカー値」が727.0でした。
 ですから、2月の検査で434.7つまり40%低下したこと、およびGOT、GPTが「やや高い」程度にまで下がっていたことは救いであるように見えますが、この数値は昨年9月に下がって以来、ほとんど動かぬままつづいている数値です。
 前年6月の検査値にくらべて、3ヶ月後の9月の数値が改善したことについては、病院の処置・指導に効果があったからであり、有難いと思いました。
 しかし、「ここから先については手術を」と言われ、「何とか手術だけは避けたい」と、3ヶ月ごとの定期検査は別にして病院の治療を全てことわり、自宅で安静な生活をしながら他の方法を模索していました。
 薬剤の投与をつづけても肝硬変→肝ガンに進行した事実から薬は信頼できませんし、手術については結果が良いとは限らないことを、いくつも耳にしていたからです。


※3日目から体調変化が現れる
 「寿量」については、栄養系の吸収と免疫力向上の関係、それに土壌菌による低分子化やキレート水等々についての説明をうけ、納得することが多かったのでかけてみる気になりました。
 それまで実に多くの健康食品や療法についてサンプルを取り寄せたり。数週間試してみたり、資料を取り寄せて質問したりしてきましたが、どうしてもあいまいな感じがして気に入りませんでした。
 3月17日に「朝・昼・夕の毎食30分前に50ccずつ飲用」で、スタートさせました。3日目から色々な体調変化が現れはじめました。

オナラが頻繁にでる。

目にゴミが入ってコロコロした感じになり、洗ってもその状態は変わらず、目になにか出来物でも生じたのかと感じる。

しきりに眠気がして、すぐウトウトと寝込む。

肩凝り、背痛、頭痛がする。ズキズキと痛むのでなく鈍痛。

耳鳴りがする。

1週間前から軽い咽頭炎になる。

眠気から覚めると空腹感が盛んになる。「腹が減ったぁ~」という久しぶりの空腹感。

 予め、「何らかの好転反応がある」と言われていたので、体調変化を病状悪化にむすびつけて心配することは無く、むしろ「飲用によって身体が反応してくれているんだな」と思われ、回復への期待がちょっぴりわいてきました。

※飲用1ヶ月半で大幅に改善
「寿量」を飲用して2ヶ月半目の5月30日にも、3ヶ月ごとの定期検査を受けました。
結果は次のとおりです。
  GOT=114
  GPT=164
  腫瘍マーカー値=304.4
 これで見ると、GOTとGPTは少し悪くなっていますが、ここ数年の変化の範囲にあるものです。
 むしろガン化の進行程度を示す「腫瘍マーカー値」が大幅に改善して、嬉しくなりました。
 「おぼれる者はワラをもつかむ」式に「寿量」にとびついたのではなく、自分なりにじっくり検討して「寿量」を良いはずと判断したことに、間違いは有りませんでした。
 この頃には肩凝り、耳鳴り、咽頭炎を残して、他の好転反応は解消していました。
 肩凝り、耳鳴り、背痛はだいぶ前から折にふれてあった症状で、肝臓の悪化にともなう症状ですから、背痛が消えたからには、残る肩凝りと耳鳴りも肝機能の改善と並行して消えていくと確信していました。


※「やったぁ!」
 8月に入ると、耳鳴りをのぞく他の好転反応はケロッと忘れたように消えていました。肝機能の改善にいよいよ希望がわき、8月末の定期検査が待ち遠しくなりました。
 8月29日の定期検査結果は次のとおりです。
  GOT=82
  GPT=110
  腫瘍マーカー値=189.4
 肝機能についても肝ガンについても「やったぁ!治ってきたぞ!!」と、大声で叫びたくなるような数値。「腫瘍マーカー」は飲用開始5ヵ月半で半分以下に低下したことになります。


※1年半で治癒
 「悪化しても治癒することは無い。だから手術で切って・・・」と医師から再三言われていた肝臓ガンでしたが、飲用開始1年半たった平成8年5月末の検査で、「腫瘍マーカー値」はGOT、GPTとともに正常値になり、医師からは「こういうことも有るんですね。治癒したと言わざるを得ません。」と言われました。
 年がいもなく目はウルウルになっていました。
 この医師は立派な優れた方でしたが、これまでの言葉の端々に健康食品類に否定的立場が見られましたので、「~~を飲用して治った」とは言わないでおきました。

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体験談 その3 ~子宮ガン、腎臓ガン、末期の疼痛の解消~

「新 もうガンは怖くない」 第1章より

※アトピー性皮膚炎の改善例もあるが
 「寿量」によるガン克服が、どのような経過をたどるかについての詳細は、1節と2節の例でお分かりいただけたと思いますので、以下には回復までの経過の概略を3人の事例について紹介します。
 つまり、子宮ガンの治癒、腎臓ガンの治癒、全身転移による末期がんの疼痛からの解放の3例です。
 本書はガンがテーマですから、体験例の紹介はしていませんが、アトピー性皮膚炎、糖尿病、高血圧など現代特有の諸病が、「寿量」の飲用によって治癒しており、「人間が本来もっている自然治癒力をひきだす」という考え方に間違いはないことを確信させてくれました。


◎子宮ガン(4期)山口県N・Tさん(女71歳)
※4期の子宮ガン
 下腹に鈍い痛みがあって検査を受けたら「4期の子宮ガン」と判明しました。「もう、子供は産まないのだから手術でとったほうが良い」と言われたが、「家族と相談してから決めます」と結論を出さずにおき、1週間後の精密検査の結論まで待ってもらうことにしました。
 内心では手術はどうしても避けたいと思っていました。というのは、同居している長男の嫁が糖尿病を「寿量」で治していて、その後も健康のためということで飲んでいて調子が良いと言っていたので、私もこれで治るのではないかと期待し、その日から「寿量」を飲みはじめていたからです。


※飲用翌日から好転反応
 翌日からお腹がゆるんでトイレに頻繁にかようようになり、ガスが出るのかと思って肛門をゆるめたら下痢便をチビリ、下着を汚してしまいました。「好転反応がある」と予め聞かされていたので、トイレやガスについては動揺することはありませんでした。
 飲用4日目からは下腹の鈍い痛みが消えていました。食欲も出てきました。夜中にお小水で起きることが無くなり、おかげで夜はこんこんと眠れました。お布団の中が以前より自分の体温で温かくなっていました。全身の細胞がしきりに燃えだした感じです。家族からは「顔色がよくなっている」と言われ、自分でもそう感じました。


※飲用1ヶ月後に治癒
 1週間後の精密検査を受ける頃には下痢便が軟便になり、回数も減っていましたが、それでも1日に何回かは排便がありました。一方、気分の方は「もう治っているのではないか」と思うくらい元気でした。
 検査の結果では治ってはいませんでしたが「3期」に改善していました。嬉しくなりました。でも、お医者さんは依然として「今の元気が残っているうちに手術を」と、しきりに言っています。
「ここのところ調子が良いので、もう少し様子を見たい」と、もう2週間後の検査まで待ってもらうことにしました。
 2週間後の検査では「良くなっていますヨ」と、とうとう手術が話題にならなくなり、1ヶ月後の検査では「手術の必要はないですね。もう検査は必要ないでしょう」と正式に言われました。治癒です。
 「寿量」の話をしかけたのですが、お医者さんは取りあってくれない感じでした。


◎腎臓ガン 兵庫県 K・Sさん(男64歳)
※入院2日前から飲用
 腰の鈍く重~い感じがつづき、調べてもらいましたら骨には異常がなく、結局は右腎臓ガンと分かりました。
 何よりも立っているのも腰がしんどい感じなので入院することにし、ガンが進行するようならば手術で取ることになりました。
 「何とか手術は避けたい」と思って、入院までの4日間は八方手をつくしてガンに効くものを探しましたら、友人の医学者の紹介で「寿量」を飲むことにしました。入院2日前のことでした。
 飲みはじめると、入院前日からですが、目ヤニがずいぶん出るようになりました。小便がウーロン茶のように茶色みを帯び、やたらに眠たくなりました。
 病院では「20日くらい様子を見て検査しなおし、そこで手術を本格的に検討しましょう」ということで、その間はまずは安静・静養に専念することになりました。


※全身がサッパリした感じになる
 20日間が勝負と思った私は、朝・昼・夕食に先立って50ccずつ「寿量」を飲用し通しました。
 小便の茶色は入院2日目には消えて透明になり、それと共に肩から背中にかけて、ずいぶん楽で軽い感じになりました。軽い感じになってみて、それまで強い肩凝りが有ったのだと気づきました。
 とにかく、全身に溜まっていたカス類が、すっかり洗い流されたような。風呂上がりの後のようなサッパリした感じになってきました。
 10日目からは、やたらに眠いという状態は無くなり、気分が軽く腰の重みはずいぶん薄らいだ感じです。
見回りにくる看護婦さんや医師が「あれ?」という表情を示すようになっていました。顔色がいいと言います。


※医師が「驚きましたよ」と
 入院20日目の精密検査では、医師が「驚きましたよ」と言いながら、結論として「ガンらしきものは有りませんでした。とりあえず退院して様子を見てください」となりました。
 その後、半年ほど週1回の検診を受けましたが、結局は何も出ず、「もういいです」と告げられました。
 こちらとしては、無理や無茶、暴飲・暴食は避けたものの、とうの昔に普通の生活にもどり、発病以前よりも若返った状態になっています。


◎全身転移ガンによる末期の疼痛 奈良県 Y・Kさん(55歳)
※結腸ガンが2年で全身に転移
 平成元年1月に成人病検査で結腸ガンが見つかり、それから2年のうちに、あちこち転移しました、脳、ノド、肺、胃、肝臓、膀胱がガンに侵されました。
 平成3年3月には右腎臓ガン、甲状腺膿胞(のうほう)、動脈蛇行が新たに見つかり、他にも悪い所があるからと病院から言われたのですが、もうこの病院を頼っていたらドンドン悪くなるだけだと思い、何か治る良い方法はと探しているうちに、主人の親類から「寿量」を紹介してもらいました。


※親類の肝ガンが治ったと聞き
 主人の弟は肝ガンだったのですが、平成元年6月から「寿量」を飲用して平成2年1月には進行が止まり、その1年後の今も元気に普通の生活をしているからです。
 平成3年3月15日から飲用を開始しました。
 必死でしたから5日で1本を飲み切るほどでした。「寿量」の説明をしにきてくれたKさんは私の状態を知って、「ガンが全身に及んで切迫している状態ならば、必要な手術は受けた方が良いですよ」とアドバイスしてくれたので、別の病院をさがしてみたのですが見つからず、結局、Kさんのツテである大学病院に頼んで手術してもらうことにしました。


※全身のチクチクした痛みが飲用で消える
 5月28日に腎臓摘出手術を受けましたが、それまで「寿量」をしっかり飲んでいたからでしょう、お小水も良く出ていました。腸も、胸も、頭も、胃もとにかく全身がチクチク痛んでいたのですが、痛みだしたら「寿量」を飲むと間もなく消えるので、「これは本当に効くんだ」と感じました。
 摘出手術は無事に済みました。
 手術の後で先生は、
「運良く薄い膜が破れていない状態だった。こんな状態でよく膜も破れず、輸血なしに手術できたもんや。この人、男みたいなからだや」
 と、びっくりしていました。飲用の効果だと思いました。


※末期状態ですが
 どうせ末期状態の私ですから、長く生きられるとは思いませんが、痛みにさいなまれないだけでも大きな救いで、「寿量」様有難うございますの感謝、感謝の気持ちです。
 もっと早く「寿量」に会っていたら、と悔やまれます。6月5日にアメリカンファミリーのガン保険もおりました。
(Y・Kさんは、この手記を書いていただいてから1年半後の平成4年末に亡くなられました。直接の死因は心不全とのこと。隣室でご家族が来客と1時間ほど話している間に亡くなられたとのことでした。静かなご最後であったと察します)

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症例1 ~子宮ガン、腎臓ガン、末期の疼痛の解消~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第1章より

※乳ガン 手術の後に肺転移が発覚。新たな転移の不安に打ち勝ち6年目に
 三井冴子さん(仮名)は55歳の女性です。平成5年夏ごろ、右の乳房にしこりがあることに気づきました。押してみても痛みはありません。乳ガンが心配になって、すぐに病院に行って受診しました。
 しかしそのときは「急性乳腺炎が知らずに慢性化したもの。心配ない。」と医師に言われ、まずはホッとしたのです。乳房のしこりは、そのまま放置されました。
 ところが平成7年12月、定期検診で「右乳ガン」と診断されました。冴子さんは「まさか」と思い、2年前の受診の経緯を伝えました。「乳ガンのわけがない、だって心配ないと言われたんだから」という思いで、誤診ではないかと詰め寄ったのです。
 しかし、医師はすでに確信していて相手にしてくれません。逆に「しっかり検査を受けましたか?」と聞かれ、黙るしかありませんでした。
 詳しい検査の結果、無情にもやはり診断に間違いはありませんでした。平成8年1月に手術を受け、右の乳房はすべて切り取られました。
 手術後はホルモン療法を受けましたが、6月になって恐れていた右肺への転移が発見され、8月末に胸腔鏡を使った手術でガンを切除しました。
 9月28日、慈恵クリニックに相談に訪れたのはご主人でした。
 ご主人は、肺転移が明らかになった奥さんの病状に大きな不安を抱いておられたのはもちろんですが、「最初に誤診さえなければ・・・・」「万が一のことを考えてもっと詳しい検査を勧めてくれたら・・・・」という思いをずっと消すことができないでいました。
 病院での治療に懐疑的になっていたご主人は、「このままでは助かる命も助からないかもしれない。行動するなら今しかない。」と、切羽詰まった気持ちでした。そこで、民間療法や代替療法と呼ばれるものでガンに良いというものを手当たりしだいに調べ上げ、本も読みあさりました。そんな苦しみのなかで、山田義帰という一人の医師に出会ったのです。
 山田先生は、ガン治療は医師が患者に一方的に行うものではないと考えています。「病院の治療がダメだから代替療法を」というような単純な発想では、いかに優れた機能性食品であろうとなかなか結果は患者さんの思うように出てきません。
 ただし、健康やガンのことによほどの関心がないかぎり、一般的には医療とは専門的な事柄と考えられていて、多くの人は「治療してもらうもの」という前提でとらえているものです。日本人には、特にそれが強いと思われます。
 現代医学に疑問を持っている患者さんでさえ、そんな「病院におんぶに抱っこ」という自分の態度に気づいてないことが多いと山田先生は指摘します。そんな発想でただ「慈恵クリニックへ行けばなんとかなる」とばかりに救いを求め、たとえ機能性食品を摂取したとしても、基本的にはあまり良い結果にはつながらないことが多いと言います。
 そこで慈恵クリニックでは、初診の方にはすべて、病気を治すということ、病気が治るということについて、深く理解してもらうことからスタートしています。患者さんのための勉強会なども開かれています。
 そのようななかで「自分自身が免疫力を上げ ガンと闘うこと」の重要さを理解できた患者さんが、機能性食品の作用を確実に効果に結びつけていくのです。
 幸いなことに、三井さんのご主人は山田先生のいくつかの著書を熟読しており、その考え方を理解していました。
 冴子さんには「本人がいちばん真剣になって治そうという気持ちにならなければ、何をしてもダメ」ということを、ご主人からしっかり説明してもらい、よく納得してもらうことにして、山田先生はさっそく機能性食品の摂取を開始することにしました。
 キレート水を主にして、複数のキノコ菌糸体から抽出された免疫賦活食品、プロポリス(ミツバチの巣の接着剤となる物質)、スピルリナ(藍藻類の一種)などを使いました。
 冴子さん自身はそのころ、「自分の運命はもう死しかない」と諦めていたそうです。乳ガンで肺に転移が認められた場合、ステージはすでにⅣ、つまり末期と分類されるのです。冴子さんの場合、肺の転移ガンは手術で切除することはできましたが、乳ガンのステージⅣの5年生存率はわずかに10パーセントでした。
「いずれまた、再発するに違いないわ・・・・」
 冴子さんが、そう悲観し、不安にさいなまれるのも無理はありませんでした。
 しかし、山田先生の考え方に共鳴し、実際に会って話を聞いてキレート水を手に戻ったご主人は自信満々で説得しました。「お前が治りたいのなら、治るんだ」「自分で治す意欲があるのなら、こういうものが効くんだよ」と。
 冴子さんは、ご主人とじっくり話し合い、その言葉に心から勇気づけられたそうです。彼女の気持ちを心の底から動かして治療に積極的に向かえるように変えたのは、世界でたった一人のかけがえのないご主人の言葉だったからこそ、なのでしょう。
 冴子さんは「治して生きるんだ。治らないことはないんだ」と、再び生への執着を持つようになり、本気で完治させるつもりでキレート水を飲みはじめたのです。
 1週間ほどたったころ、三井さんは隣の奥さんから「顔色がずいぶん良くなった」と言われました。「明るくなって、もうすっかり元気になりましたね」とも。
 食欲も出てきて、7キロ減っていた体重が少しずつ増えて、3か月後には以前の体重に戻りました。
 定期的に検査を受けていましたが、その後は再発やそのほかの臓器への転移を暗示するような数字は現れず、きわめて順調でした。体重は漸増が止まらくなり、少しダイエットを考えるほどになりました。
 冴子さんはいつしか、自分がなぜあれほど思い詰めていたのかわからなくなるほど調子がよくなっていました。そして、今度こそ本当にガンを克服できたのではないかと信じられるようになったのです。その大きなきっかけが、キレート水でした。
 現在、ご主人が慈恵クリニックを初めて訪れてから6年が経とうとしていますが、依然として再発や転移の兆候は皆無で、三井さんは順調に日常生活を送られています。


『山田医師のコメント』
 三井さんの場合、しこりを感じて最初に受診したときに「心配ない」と言われ、結果的に治療が遅れてしまったように見えます。その無念さが、患者さん本人やご主人の気持ちを乱していたように思えました。
 ただし、乳房のしこりが悪性に転ずる例がないわけではなく、必ずしも誤診と決めつけるわけにはいきません。ただし、患者さんやご主人が「もっと早く見つかっていれば」と思うのも当然です。その後向きの考え方を早くに捨て去り、自分で治療していくんだという前向きな姿勢をつかむためにも、キレート水は役立ったと思われます。
 このようなとき、ご主人のようななんでも話せて信頼できる方が患者さんの身近にいることは、非常に重要なことだと思います。
 心からの安心感は、強い生命力には欠かせない条件です。三井さんにはそのような環境が整っており、キレート水の及ぼす作用もより有効だったのかもしれません。

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症例2 ~乳ガン 乳ガン手術後、肝臓・肺・骨に転移。余命1か月を乗り越え、穏やかに延命中~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第1章より

川名紀子さん(仮名51歳)の右乳房にガンが見つかったのは平成9年でした。乳房全体をとる手術が行われ、手術後は抗ガン剤の投与を2クール受けました。
 抗ガン剤の副作用は多少ありましたが、終了後はまもなく回復して元気になり、その後は再発や転移に注意しながらの生活が続いていました。
 胸椎への転移が見つかったのは、平成13年3月のことでした。一つの目標だった5年という期間が目前だったこともあって、紀子さんには大きなショックでした。
 さっそく放射線治療が行われました。しかし、腫瘍マーカーの上昇はとまりません。
 9月に行った検査では、さらに肺と肝臓に新たな転移が見つかりました。
 抗ガン剤を2クール行いましたが、検査数値は一向に改善しません。また、今回の抗ガン剤の副作用はひどく、投与が終わっても吐き気と頭痛は止まりませんでした。紀子さんは次第に衰弱していき、このころから生きる気力も失いつつあったそうです。
 12月になって、主治医から家族に説明がありました。
「かんばしくありません。肝臓の正常な細胞は全体の2割ほどしかなく、肝不全ぎりぎりの状態です。余命は1か月とみてください。早い場合には2週間ということも、あるかもしれません。どんなに長くても、半年が限界でしょう・・・・」
 覚悟はしていましたが、一人息子の栄治さんには大きな衝撃でした。主治医に告げられたお母さんの死期は、予想を大きく超えてあまりにも近すぎました。夢のようにも思えましたが、現実は厳然と変わることはありませんでした。
 翌日から栄治さんは会社を休み、「母が余命1か月」という現実にどう対処したらよいのかを考えました。とにかく苦しんでほしくないという気持ちから、栄治さんはターミナルケアやホスピスに関する情報を調べていましたが、一方で「もしかしたら、世の中のどこかに、まだ何か母を救えるものがあるのかもしれない」という気持ちの片隅にはありました。
 それでさまざまな機能性食品について調べているうちに、山田義帰先生を知ったのです。
 会社はそのまま年末年始の休暇に入り、川名家も沈鬱なうちに平成14年を迎えました。紀子さんは小康を保っていました。
 三が日が過ぎて、栄治さんは思いきって慈恵クリニックに電話を入れてみました。受付の女性が丁寧な応対で熱心に話を聞いてくれたこともあって、栄治さんは山田先生に会って話を聞くことに決めました。
 栄治さんが慈恵クリニックを訪れたのは、翌5日のことでした。山田先生からは、キレート水をはじめ数種類の機能性食品の飲用を支持されました。
 「たとえ亡くなるとしても、苦しまないで、最後の貴重な時間をできるだけ安楽にさせてあげたい」という栄治さんの気持ちに対して、山田先生からは、
「必ずしも鎮痛剤や麻薬だけが手段ではありません。周囲の熱心な気持ちに支えられて、機能性食品だけで短い余命のQOL(生活の質)を上げ、穏やかに死を迎えられた事例もあります。あなたの気持ちがあれば、大丈夫!自信をもってくださいよ!」
 と、励まされました。山田先生の元気な声を聞いた栄治さんは、来るときの陰鬱な気分とは正反対の「やるだけのことはやろう!」との気持ちで帰途につきました。
 そのころの紀子さんは顔色が悪く、食事は吐いてしまうことが少なくありませんでした。頭痛は日を重ねるごとにひどくなっていて、鎮痛剤は欠かせなくなっていました。さらに年末から腹水がたまるようになり、下痢が続いていました。
 ところが、栄治さんの持ってきた機能性食品を開始すると吐き気や頭痛は格段に軽くなり、食欲が少しずつ出てきたのです。まもなく病院から利尿剤が投与され、腹水も消失しました。
 紀子さんは自分の体調と気分が良いことと、栄治さんら周囲の雰囲気が変わったこともあって、ときどき笑うようにもなりました。栄治さんは「これはいいぞ」と、確かな手応えをつかんでいました。
 紀子さんは宣告された「余命1か月」を乗り越え、3月、4月と、少しずつですが体力を取り戻してきました。そして5月23日には、栄治さんと一緒に慈恵クリニックを訪れることができました。
 病院での検査結果は、必ずしも改善されていない面があります。肝臓などの数値は少しずつ良くなっていますが、腫瘍マーカーは依然として上昇を続けています。
 しかし、紀子さんの気分はさほど悪くなく、自宅で心静かに療養生活を続けられています。自分がガンであること、それも末期であることは認識していても、体に痛みや苦しみがなく心も穏やかであれば、人は自分の状態を受け止めて冷静に余命をまっとうできるものだと言われています。
 紀子さんの場合もそうでした。QOLの改善や延命という点で、明らかにキレート水などの効果が現れたのです。


『山田医師のコメント』
 医学は病気を治すことに執着していますが、実際には病気と健康の境界線などありません。たとえ病気をもっていて、そのために寿命が短くなっているとしても、残りの人生でできるかぎり有意義な時間を過ごすことが、その患者さんには重要なのです。
 病気によって生活の質(QOL)が落ちることは問題だから、病気は治さなければいけないのです。病気を治そうとして、患者さんのQOLを落としてしまうことは本末転倒です。
 病気を治すことだけに執着せず患者さんのQOLを重視することは、ホリスティック医学では重要なことです。それによって、川名さんのように1か月と言われた余命が5か月、6か月と伸びる場合もあるのです。
 自然治癒力は。苦痛のなかで上がることはありません。気持ちがいい、気分がいい、楽しい、嬉しい、不安がない、美味しい、そういう気持ちから上がってきます。つまりQOLを上げるということは、自然治癒力を上げることにつながるのです。自然治癒力が上がると、抵抗力がついて体が楽になり、また気分が良くなります。
 医師は、そのような良い循環をつくるためのアドバイスを与えなければならないと思います。川名さんの場合、キレート水によって基礎体力に必要な栄養素が効果的に吸収されるようになり、それが好循環を生む良いきっかけとなりました。

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症例3 ~胃ガン 醜悪なガンがきれいな粘膜に!? 手術を受けさせなくて良かった!~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎「ガンにいい水」でなんとか・・・
 平成12年12月、クリスマスも近いある日の午後。景品の卸業の会社を経営している岩崎泰夫さん(当時43歳)の携帯電話に着信がありました。当然仕事の電話だろうと思って出ると、声は以外にも、実母の昭江さん(当時67歳)でした。
《もしもし・・・・泰夫?》
 その切羽詰まった、震える涙声を聞いただけで、泰夫さんは嫌な予感がしたそうです。
《いま病院で胃ガンと言われた。手術で胃の全摘やて・・・・》
 お母さんが泣きながら伝えてきました。予感は的中でした。
 昭江さんは病気一つしない元気な人でしたが、最近になって「背中がチクチク痛い」「上を向いて横になると胃のあたりに違和感を感じる」といった症状を気にしていました。それで、その日は大きな病院で診てもらっていたのです。
 母親が病院へ行ったことすら知らなかった泰夫さんには、まさに青天の霹靂でした。
 その晩じっくり話を聞くと、昭江さんは「もうこの年になって手術など受けたくない、このまま死にたい」の一点張り。そして泰夫さんが販売している水に頼りたいという気持ちを訴えました。その水ならガンにも効くと昭江さんは主張するのです。
 昭江さんの言うその「水」とは、キレート水のことでした。


◎「親を殺す気ですか?」
 泰夫さんはすべてを承知し、翌日、母親に付き添って病院へ行きました。
 診察室に腰かけた母子を前に、主治医は胃カメラの写真を示して3センチ大のガンが確認できることを説明し、「手術で胃を全摘出しなければ余命いくばくもない」という見解を伝えました。しかし、泰夫さんは納得しませんでした。
《私はキレート水とういう機能性食品の販売をやっています。先生は信用しないでしょうが、実際にたくさんのガンの患者さんが良くなっています。母は『この年になって手術はしたくない』と言っているので、ぜひこれを飲ませてみたい》
 泰夫さんはキレート水について、医師にこんこんと説明を続けました。しかし最初は黙って聞いていた医師も、徐々に感情的になってきた、とうとう言葉を荒くしました。
《ガンは、そういうものでは治らない。このまま放っておいたら、どんどん転移して、お母さんは間もなく苦しんで死ぬことになりますよ。あなたは親を殺す気ですか!?》
 その言葉にさすがにドキッとした泰夫さんですが、それでもひるみませんでした。
「最終的に手術をやるかどうかの選択権はこちらにありますからね。私も怖かったけど、あえて先生の言うことを否定して、手術はさせなかったんです」
 こうして抗ガン剤も放射線もいっさいせず、ビタミン剤ひとつもらわずに、昭江さんは自宅に戻り、キレート水だけで自宅療養を始めたのです。もう新年(平成13年)の1月中旬になっていました。


◎用量増加で一気に好転
 キレート水を飲みつつ、春が過ぎ、また夏も終わろうとしていました。
 しかし、昭江さんの調子はなかなか上向きません。ひどく悪くはならないが、背中の痛みや胃の違和感といった症状は依然として残っていました。体調も、必ずしも良くなっていないように見えました。
 不安に思った泰夫さんは、もう一度病院で胃カメラの検査を受けてもらおうと思い、また付き添って病院を訪れました。すると、3センチだった昭江さんのガンは5センチに大きくなっていたのです。
 写真を見ると、ガンは赤と黒の不気味な色彩で、粘膜がめくれるようになってちょうどバラが咲いたように見えました。誰が見ても、明らかにガンという状態でした。
「これはいかんと思いました。それで今度は私自身が悩んでしまいまして。『手術はしない』とタンカを切ったけどやはり間違いだったのか、母親は嫌がったけど医者の言う通り手術をしておけばよかったのか・・・・と。それで、木村先生に相談したんです。そしたら『量を増やしてみよう』と言われたんです」(泰夫さん)
 こうして平成13年9月から、キレート水を増量し、さらに木村所長から特製のキレート水の粉末ももらい、あわせて昭江さんに飲んでもらいました。その結果が、それまでとは比べものにならないくらいの勢いで、はっきり出てきたのです。
 キレート水を増やすと、昭江さんの様子が明らかに変わりました。見た目にも表情に生気がよみがえり、食欲もあり、体調が良さそうに見えました。しかし最もはっきり現れたのは、髪の毛で調べる波動の数値でした。
 「波動」というのは病気に勝つような生命エネルギーの程度を示すもので、最近はこれを測定する機器が開発され使われていいます。その数値が、9月以前に比べてぐんぐん良くなっていたのです。


◎甘い果物につい手を出して・・・・
 秋から冬にかけて、昭江さんの体調は非常に順調でした。
 ところが途中で一度、波動分析の数値がガクンと落ちたことがありました。昭江さんのちょっとした油断が原因でした。
 昭江さんはキレート水を飲みはじめると同時に、食事の内容をはじめ、口にするものすべてに細かく指導を受けていました。水分は摂りすぎない、甘いものは禁止(果物も)、毎食ミネラル分を適度に含む食事にする・・・といったことでした。
 当初、昭江さんはこの指導をしっかり守っていたのですが、体調があまりに良くなって痛みも消えてきたので「果物くらいええやろ」と、つい手を出してしまったのです。
 ところが、昭江さんは無類の果物好きでした。ミカンが山盛りに置いてあれば、気づいたらすべて食べ尽くしているといった具合です。
 昭江さんは一人暮らしですが、近所に住む次男の英二さんが訪ねた折に大量のミカンの皮を発見し、昭江さんの「掟破り」が発覚したのです。
 昭江さんは否定しましたが、早速泰夫さんがとんできて、念を押しました。
《お袋な、食べてないと思うけどな、絶対にフルーツ食べたらあかんよ。ここまで来たんやから、もう少しのガマンや。ぜんぶ治ってから食べるほうが、もっとうまいと思うわ》
 お母さんも息子の言葉に反省し、再び指示どおりの食生活を守るようになったそうです。すると髪の毛の分析数値はすぐに上昇に転じ、再び順調な療養となったのです。


◎醜悪なガンが消えてピンク色に!
 昭江さんは、気分良く平成14年を迎えました。痛みはなく、生活は快適でご飯もおいしい。ぐっすり眠れて、とても明るい。誰が見ても、ガン患者には見えないほどでした。
 そこで泰夫さんは、再び昭江さんを連れて病院を訪れ、胃カメラの検査を依頼しました。そして以前と同じように診察室に腰かけ、写真を見ながら医師の説明を聞きました。
「先生が部屋に入ってきて、写真をわれわれの前に示したんです。その瞬間、もうわかりました!まったく違っていました。去年9月に写真を見たときは、胃の粘膜が黒く変色して、出血も見えていた。ガンはバラの花のようにめくれあがっていた。それがまったくきれいになくなっていて、胃の内部はピンク色になっていたんです」(泰夫さん)
 しかし担当の医師はそれでも、「完全に治っているわけではない。手術はしたほうがいい」と主張したそうです。もちろん泰夫さんは同意せず、お母さんとともに大喜びで帰途についたのでした。
 ただし医師も昭江さんのあまりの好転にたしかに驚いていたようで、帰り際に泰夫さんにこう言ったのだそうです。
《ガンはそう簡単に完全になくなるものではありませんから油断しないように。・・・・ただ、私はまったく治療をしないまま、ずっとお母さんの経過を見させてもらってまして、まあ・・・良い経験はさせてもらったなとは思ってます》
 平成14年7月現在、昭江さんは相変わらず元気で、まったく普通に生活しています。キレート水の量は少し減らし、果物も少量ならOKと言われました。
「お袋はものすごく喜んでます。ただ一つ心配なのは、食欲がですぎて。ものすごい食欲です。でも困るほど食欲があるというのは、治った証拠じゃないですか」(泰夫さん)
 お母さんの一件は、泰夫さんにも本当に驚愕の成果だったそうです。
「実は、その前にも経験はしていたんです。お袋の母親、私のおばあちゃんですね、そのおばあちゃんが82歳の時に『肺ガンであと3か月』と言われました。そのあと2年間生きて85歳で亡くなったのですが、最後は苦しむこともなかった。でも、今度のお袋のは本当に消えてしまったわけですからね。私自身も驚きました。」(泰夫さん)
 今泰夫さんは、以前より自信をもってキレート水を扱っているということでした。


【木村所長のコメント】
 岩崎昭江さんの容態が上向きになったのは、キレート水の飲用量の増加にあったようです。実はキレート水の作用は、腸管におけるミネラル分などの吸収促進だけではないのではないか、という推測から現在も研究が続けられています、昭江さんのように、大量摂取をきっかけに好転に向かう患者さんは少なくありません。しかしそれが何故なのかの全貌は、必ずしもわかってないのが現状です。
 ただ大量摂取すれば良いというものでもありません。キレート水の用量は、患者さんによって、どのくらいが最も適当なのかが異なってくるようです。

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症例4 ~胃ガンの再発 手術で切除しても永遠に出てくる 鬼っ子のようなガンに諦めかけたが・・・

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎胃ガンで胃袋すべて摘出
 兵庫県にお住まいの中谷哲也さん(84歳)が胃ガンの摘出手術を受けたのは、平成3年11月でした。
 その少し前から、油ものを食べたあとで、なんとなく胸につかえるような感じがありました。そこでいつも通っていたクリニックで診てもらうと、「もう2年ほど胃カメラを飲んでないですね。一回見てみましょうか」ということになりました。
 カメラがするすると胃に入っていき、中谷さんが(最近の胃カメラは飲みやすうなったもんやな)と思う間もなく、医師が声を上げました。
《これ・・・中谷さん、あかんで。胃ガンやわ》
 そしてその場で、画像に映った病巣を中谷さんに見せました。念のために生検が行なわれ、2週間後、クリニックに結果を聞きにいくと、医師は「こういうこっちゃ」と結果を示す紙を渡しました。やはりガンでした。
 手術は市民病院へ移って行われることになりました。悪いことに病巣は胃の噴門部(胃の入口、食道に近い部分)にありました。十二指腸に近い幽門部にあれば胃の切除は3分の2か半分で済んだかもしれないのですが、これでは全部摘出しなければなりません。
「それはガックリきましたけど、まあしゃあないなと思って、『思い切ってやってください』と言ったんです」(中谷さん)
 こうして平成3年11月5日、胃をすべて摘出して空腸と食道をつなぐ手術が行なわれました。手術は成功し、順調に回復し、12月1日には退院となりました。
 胃の全摘手術を受けると当然、食事はいままでのように量を食べることはできなくなります。中谷さんの食事量も、それまでの半分になったそうです。
「最近はようやく、町で食べても残さないようになりましたかね。ただ大阪だとたべられるけど、神戸では無理なんです。神戸は量が多いからね」(中谷さん)
 手術後の中谷さんは少しずつ何度も分けて食べるようにしましたが、それでも体重はみるみる落ちていきました。手術前は63キロあった体重が、1月には43キロまで激減したのです。
「あまりにひどかったので、病院で栄養剤の点滴を受けたりしていました。その後、少し太りましたが、それでも47キロが限度でしたな。現在は45キロです」(中谷さん)
 中谷さんは面影が変わるほど痩せましたが、ガンは再発も転移もないまま年月が流れていきました。


◎手術跡に偏平上皮ガンが・・・
 胃をとってから3年少したった平成7年1月17日未明、淡路島から神戸にかけて大地震が起きました。阪神・淡路大震災です。中谷さんは大阪で、この震災に遭いました
「家は、半壊やけど住めない状態になっていました。それでも3月のはじめになって、神戸にいる次男夫婦が借家を探してくれました。その宿替えのとき、私はごっつ貧血起こしていたんですな。あのときは(これは、とてもあかんわ)と、皆心配していたらしいですわ。それで病院へ行き、3か月くらいの間に鉄分の注射を70~80本くらいうちました。貧血はガンが再発したのではなく、やはり栄養不足だったようです」(中谷さん)
 やがて、手術後5年を迎えました。ガンは手術のあと5年が一つの区切りと考えられています。その区切りを迎え、中谷さんは病院で胃カメラの検査を行なうことにしました。
 手術後の胃カメラはこれが初めてで多少の不安はありましたが、このときは何もできてなかったのです。医師からは「きれいですよ。また半年たったら見ましょう」と言われました。
 ところが、さらに半年がたった平成9年5月。再び胃カメラを飲んでみると、今度は医師は難しい顔をしてこう言うのです。
《食道と胃をつなげたとことに怪しいもんがあるな・・・》
「そこで内視鏡を使って細胞をつまみ、検査してみたら、偏平上皮ガンやったわけです。それが始まりでした」(中谷さん)


◎キレート水と偶然の出会い
 偏平上皮ガンは、食道粘膜に現れるガンです。これが手術でつないだ部分にできていることがわかり、すぐに内視鏡的を使って切り取られました。
「ガンの下に生理食塩水を注射すると、患部が浮き上がる。それにわっぱをかけて縛って、切り取ってしまうという手術です」(中谷さん)
 開腹手術ではないのでほとんど体に負担はかかりませんが、このとき以来5年にもわたって、中谷さんは切っては現れる偏平上皮ガンに悩まされることになるのです。
 1回目が平成9年5月26日。それから半年後の10月、さらに11年3月、7月、12年の9月と5回も同じ手術を受けました。
「この間、体調はとりたてて悪いということはなかったんです。私はもともと楽天家ですから、入院したり切ったりというのは恐いともなんとも思わんかった。『また入院か、ゆっくりできるわ。本もようけ読めるわ』といった、軽い気持ちでおったんです。ただ、こんなことが死ぬまで続いていくんかな、もう縁が切れないんとちゃうかなと、そういうあきらめはありましたなぁ」(中谷さん)
 そんなときに、中谷さんは木村所長とキレート水に出会ったのでした。
 平成13年の5月ごろ、たまたま近所に健康食品の店がオープンすることになり、中谷家の郵便受けにも記念イベントのチラシが入れられてありました。プログラムには木村微生物研究所の木村所長の講演もありました。そこに中谷さんは出かけて行ったのです。
「そこで木村先生に出会いました。人間の健康は新陳代謝を良くして免疫力をつけておくことから始まること、そのためにはミネラルが欠かせないこと、しかし微量ミネラルはなかなか吸収できない・・・そういう話を理論的にやってもらって、(なるほどな)と思ったんです。(ああ、この人は本当にガンの患者さんを救いたいんやな)とわかりました。それで感激して、キレートの粒を飲み始めることにしたんです」(中谷さん)


◎切り取るだけでなく体の中から治した
 当初、中谷さんはキレート粒を1日3回、3粒ずつ飲んでいました。
 しかし半年後、そろそろ年も押し詰まってくるころに行った検査で、またまた新たなガンが発見されたのです。そして、翌年1月20日に手術が行なわれることが決まりました。
「もう、こんなことなんぼやっとっても、あとからあとから出てくるんじゃしゃあないなと思いました。それで、年が明けて7日の日やったかな、健康食品の店に相談に行ったんです。私は、いま出てきているガンがキレート水でどのようになるのか、自分で体験してみたい気持ちになっておりました。(もう少しようけ飲んだら、ひょっとしたらもう切らんでもええということになるかもわからん)と思って、試してみたかったのです。それで決心して、思いきって手術を3月に延期してもらうことにしました」(中谷さん)
 中谷さんは、平成14年1月7日からキレート粒を5粒ずつ1日4回(朝昼晩寝る前)に増やし、さらにキレート水も朝晩50ccずつ飲むことにしました。
 そしてちょうど2か月後の3月7日。手術の当日がやってきました。
「今回の手術はアルゴンプラズマ凝固法という方法でした。やはり内視鏡の手術です。ところが、手術が終わってから先生がおかしなことを言うのです」(中谷さん)
 医師は、中谷さんにこう言いました。
《中谷さん、器具を入れてガン組織をプラズマで叩こうとしたら、ガンがなくなっていたんだよ。切ろうとしたら、自然に脱落したようだ》
 2週間後の3月21日に退院し、29日に胃カメラの検査を行ないました。胃壁は荒れているが以上組織は見られなかった。
「このあと3か月後の6月21日にも、胃カメラの検査を受けました。その結果、いままで何度も何度も取ったり焼いたりしてはしつこく現れてきた所の粘膜が、非常にきれいになっていると言われました。そのとき嬉しくて『今日は一つビールでも飲みたいな』という気持ちになってね。『お前もビール飲めや』と家内に言ってね。キレートで体の中から治すことができて、とうとう克服できたのかなと思いました」(中谷さん)
 いま中谷さんの楽しみは、週に3回近くの公園で仲間と楽しんでいるグランドゴルフです。ゲートボールほどのプラスチックの球を輪の中に入れるゲームだそうです。84歳の中谷さんは、その仲間のなかでももちろん最年長です。
「いや、ゴルフの仲間からも老人会でも、皆さん、『中谷さんみたいになりたいですわ』とか『あんたくらいまで、わしら、よう生きんわ』などと言われてます。『どこからそないな元気が出るんか』と不思議がられとります。
 そう言って、中谷さんは嬉しそうに笑いました。その声も張りも表情も、たしかに84歳には見えないものでした。


【木村所長のコメント】
 中谷さんは、とにかく素直で明るいおじいちゃんで、一緒にいて楽しくなるような方です。このような方だからこそ、70代でガンになってその後何度も再発を経験されても落ち込むことなく克服されたのだと思われます。
 中谷さんの話をうかがっていると、全身を健康に保つ力や自然治癒力というものは、本当にその人の精神によっても支えられているんだなと実感させられます。これからも元気に人生を楽しまれることでしょう。

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症例5 ~子宮ガン ガンが確認できないのに手術? 転院して、治療が必要ないことを確認!~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎会社の子宮ガン検診で引っかかり・・・
 機能性食品を扱っている店舗の店長をしている藤田忠行さん(32歳)は、みずから扱っているキレート水でお母さんの命を救うことができたと心から喜んでいます。そしてその体験から、病院や医師の頑固な対応にあらためて大きな疑問を感じています。
 忠行さんのお母さん、和子さんは和歌山県H市にお住まいで、現在55歳になります。いつも活発で健康的な女性で、子育てが終わってからは再就職してお勤めに出ていました。ところが平成13年6月8日、勤めている会社の子宮ガン検診で引っかかり、再検査を勧められてしまいました。
 6月16日、さっそく近くの産婦人科で検査を受けました。結果を聞いたのは6月30日でした。
《子宮の悪性腫瘍の疑いが強いですね。そう、子宮ガンだと思います。できるだけ早く治療したほうがいいので、大学病院を紹介しますから、すぐに行ってください》
 7月2日、紹介された大学病院へ行き、詳しい検査をうけました。結果はやはり子宮ガンでした。主治医が忠行さんとお母さんの前で、はっきりと宣告しました。
《ただし初期のガンです。この段階で発見された子宮ガンならまず死ぬようなことはありませんから、あまり気落ちしないで、完全に治してしまいましょう》
 しかしそうは言われても、なかなか「はいそうですか」というわけにはいきません。普段から明るい和子さんでしたが、「どうしよう、どうしよう」とパニックのようになってしまったそうです。
「本人はガックリくるし、突然のことでしたから、家じゅうが暗くなしましたね。私がたまたま健康食品の仕事をしていてキレート水に縁がありましたので、『心配することはない、これはガンを治すために作られた水やから必ず治るから』と母に勧めました。この日からキレート水とその錠剤を飲みはじめたんです」(忠行さん)


◎ガンがなくても「とりあえず切る」?
 7月18日、大学病院の偉い教授が出てきて、忠行さんとお母さんに説明がありました。「そのとき、先生からはっきりと『このガンは動くこともないし消えることもありません』と聞きました。だから、できるだけ早く手術で切り取るのが一番の方法だ、というわけです」(忠行さん)
 翌日、和子さんはMRIの検査を受け、28日に入院や手術の説明を受け、8月11日の早朝から入院ということになりました。
 入院の当日、和子さんは最初に細胞診の検査を受けることになっていました。朝9時に治療室に移り、子宮
から細胞が採取されました。すぐに終わり、和子さんは待合室に戻りました。しかし戻ってしばらくすると、また看護婦さんに呼ばれました。もう一度、細胞を取らせてほしいというのです。
 子宮の細胞を採取する検査はもちろん、女性にとって嬉しいものではありません。和子さんは、なぜもう一度やるのかを看護婦さんに聞きました。すると「どうやらガン細胞が発見できなかったようだ」と言うのです。それで、申し訳ないがもう一度お願いしたい、ということでした。
 時計は11時を指していました。同じように簡単に子宮の細胞が採取され、和子さんは今度は入院する病室に入りました。それからはもう呼び出されることもなく、昼食のあとは眠ってしまったそうです。
 そのころ、同行していた忠行さんは医師から説明を受けていました。
「結局、母の子宮からガン細胞は見つからなかったんです。私はすぐに『キレート水の効果が出た!』と小躍りしたい気持ちでしたけど、先生には内緒やったもんですから『そうですか』と冷静を装って話を聞いていました。ところが、だんだんおかしなことを言いはじめたんです。
 先生は『子宮の粘膜にガン細胞はなかったが、ガン細胞は裏に動いてしまったんだ』と言うのです。そして『とにかく、とりあえず、切りましょう』という言い方でした。私は納得できないので、『もし切ってガンがなかったら、どうするんですか』と聞きました。すると「その場合には、子宮全部を切除せなあかんですね』と言うのです。
 ガンがないのに切るというのは、いったいどういうことなのかと、私にはまったく訳がわかりませんでした」(忠行さん)


◎不信感から転院、再検査
 しかし、いくらおかしいと思っても、大学病院の偉い教授に対して真向から反論して、こちらの考えを押し通すのはなかなか難しいことです。忠行さんもその場では、手術をするとういう方向で話を聞いてしまいました。そして手術は、二日後の8月13日と決まりました。
 忠行さんは、医師からの説明を和子さんに伝えました。忠行さん自身も、自分で説明しながらあらためて納得がいかない気持ちがわいてきました。しかしお母さんのほうは、もっと治まりませんでした。
《それは、どうも理に合わんな。あの教授は最初、ガンは動くこともないし消えることもない言うとるのに。調べたらなくなってしもうとるのに、なんで子宮を取られなあかんのやろ。とうてい納得できん》
 それで大決断して、すぐに転院することに決めました。8月13日の手術当日にドタキャンして、和子さんは大学病院を退院しました。当日のキャンセルで病院とはすったもんだがあったそうですが、とにかく「切られたあとでが何を言っても遅い」ということで、断固退院してしまいました。このときばかりは、忠行さんも尻をまくって大学教授とやりあったそうです。
 大学病院を退院した足で、忠行さんと和子さんはほかの総合病院へ行きました。そこで大学病院で行われた検査のことや予定していた手術をキャンセルしたことは伏せて、「会社の子宮ガン検診で引っ掛かったのですが」ということで検査をお願いしました。


◎やっぱりガンはなかった!
 これでガンがあったら、大学病院のミスです。もしなければ、それで終わりです。どちらにしても、忠行さんの胸には病院への不信感が募っていました。
 検査結果が出て、忠行さんと和子さんが呼ばれました。和子さんの心臓は高鳴り、ひざはガクガクしていたそうです。しかし結果はあっけなす「異常なし」でした。
《心配されたでしょうが、ガンは見つかりませんでした。念のために、3か月後にもう一度検査を受けられるとよいと思います》
 和子さんには、とても良いお医者さんに見えたそうです。
 晴れて御墨付きをもらった和子さんは、それからも3か月に一度ずつ検査に行っていますが、平成14年7月現在までの検査はすべて「異常なし」でした。
 前年の6月にガンと宣告されてから、結局病院の治療はまったく受けず、キレート水を飲んでいただけでした。キレート水は1日に400cc、粒は5個×4回と量的には多く飲んでいたそうですが、それだけで本当にガンが消えたとしたら、やはり脅威です。
「母は当初、あまり信じてなかったんですよ。でも本当に手術もしないでガンが治ってしまって、『夢のようで信じられん、息子に命を助けられた』と話してくれているそうです。もちろん今もせっせと飲んでますし、父も飲むようになりました」(忠行さん)
 いまや以前にもまして活発な“おばちゃんキャリアウーマン”として、日夜活躍しているそうです。


【山田医師のコメント】
 キレート水の力にあらためて驚いています。
 キレート水の作用は病気の現れている部分に対するものではなく、体内で常に行われている分子レベルの生命機能を上昇させるものです。それが全身に宿っているべき本来の自然治癒力を取り戻させ、健康状態に近づけていくわけです。特にガンの場合には、早期の段階で適当量を飲むと大きな改善につながる例が多いようです。
 早期ガンでは、まだまだ体はガンに負けていないのですから、なにより患者さんが諦めないことが肝心です。

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症例6 ~肺ガン 夢にも思わなかった娘の肺ガン!場所が悪く手術不能と言われたが・・・~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎小太りの娘が痩せてきた・・・
 娘さんが肺ガンと診断されたが、キレート水を飲みながら病院の治療を続け見事に克服したという、佐藤照子さん(78歳)のお話を聞くことができました。
 佐藤さんの娘の大石明美さん(57歳)は、結婚してお母さんと同じ市内に所帯を持っています。最近は少々太りすぎて、コレステロールや血圧の心配をしていました。
 ところが平成13年秋、明美さんが少しずつ痩せてきたのです。同じように食べているし、生活も変わっていないのに変だなと思っていたら、やがて咳が出るようになり、常に微熱があるような状態になりました。
 お母さんの佐藤さんはじめ周囲は、いつも健康的な明美さんの様子がおかしいので心配になりました。
「でもね、家系でガンの人はいなかったので、私はガンだなんて思ってもいなかったんです。食べすぎて風邪をこじらせたんじゃないか、くらいに思ってました」(佐藤さん)
 明美さん本人も風邪だろうと思っていたようで、10月3日に近くの医院で診察を受けました。そして薬をもらって飲んでいましたが、飲みおわっても一向に良くなりません。一週間たっても熱が下がらず、咳も止まりません。
 10日ほどたって「おかしいな」ということになり、明美さんのご主人が会社を休んで大きい病院へ連れて行き、診てもらいました。
「まず胸部レントゲンを撮りました。そうしたら、右側の肺が真っ白になっていて何も見えなかったそうです。先生は『これは水がたまっているんです』とおっしゃったそうです。とにかくこの水を取らないといけないということで、入院して、肺の水を抜いたわけです。そのあとでさらに精密検査をしたら、肺に1円玉くらいの腫瘍があるって言われたそうで、もうびっくりでした・・・」(佐藤さん)


◎キレートを飲みつつ抗ガン剤治療
 佐藤さんは、1年ほど前から健康維持のためキレート水を毎日10ccずつ飲んでいました。飲みはじめると便秘が治り、疲れが残らないようになり、また風邪を引きにくくなったと実感されたそうです。そこで娘さんにも勧めましたが、明美さんは最初の1か月だけ試してやめてしまったのだそうです。
 娘が入院したと聞いて、佐藤さんはすぐにキレート水を持って駆けつけました。そして6時間おきに1日4回50ccずつ、キレート水を飲ませました。
「もし先生に見つかってダメと言われたらいけないから、見せないで隠れて飲むように言っておきました。自分の健康は自分で守らなければいけませんからね。お医者さんが守ってくれると思っていたら、いまは大変なことになる時代でしょ。だから私はキレート水に期待して『絶対に飲まなきゃダメだよ』と念を押して置いていったんです。娘もまさか入院とは思っていなかったようで驚いていたので、今度ばかりはきちんと飲んでいたようです」(佐藤さん)
 しかし精密検査の結果は、思わしいものではありませんでした。ガンはさほど進行したものではありませんでしたが、場所が悪かったのです。胸腺のすぐ横にできていたため、手術は不能という判断だったのです。
 こうして、入院して1か月ほどたってから、抗ガン剤の治療が始まりました。


◎ガンがなくなり、無事退院!
 実は、明美さんの病気が肺ガンであることは、当初本人には伝えられませんでした。気が小さいので、おそらく相当なショックを受けるだろうと周囲が判断したのです。
 しかし、抗ガン剤の投与を行うことになり、困ったことになりました。
「抗がん剤をすると髪の毛がごっそり抜けて、ツルツルになると言われたんです。それで気がついてしまったら、せっかく隠しているのに元も子もありません。それで先生に相談したんです。そうしたらいろいろ考えてくださって、事前に髪の毛を剃ってしまったらどうかと言われました。それで、抗ガン剤の前に頭をきれいに剃っていただいたんです」(佐藤さん)
 最近はガンを告知されるのが一般的ですが、医師によっては患者さんの様子を慎重に見て、家族とも相談して決める場合もまだまだあります。明美さんの場合は、治療効果を見て改善が見られてからでも遅くはないだろうと判断されました。
「抗ガン剤は、2回したんです。副作用は少しはあったようです。吐いてしまうようなことはありませんでしたが、食欲がなくなって、病院の食事はほとんど手がつけられませんでした。1日中だるそうにして、元気ありませんでした。それでもキレート水だけはしっかりと、毎日飲んでいました」(佐藤さん)
 抗ガン剤のあと、病院の薬を飲み、点滴なども行なわれたそうです。たびたび検査が行なわれていたようでしたが、その結果は特に知らされていませんでした。
「ところが、12月20日ごろになって先生から話があったんです。明美の旦那が行くと、『検査をしたら、どうもガンが消えたようだ』と言われたっていうんです。先生も頭をかしげて『こんなに早く消えるものかな』と不思議がられていたそうですが、キレート水のことは伏せていたそうです。そして『いちおう現状でどう検査してもガンの形跡がないから、退院して様子をみたらいいでしょう』と言っていただき、12月28日に退院して帰りました」(佐藤さん)
 その後、明美さんはまったく健康的な元の生活に戻り、現在では体重も元に戻ったそうです。
「ご飯も美味しく食べていますし、とても調子がいいようです。退院してから毎月1回は病院へ行って検査を受けていますが、7月になった現在もガンは見つかっていません。キレート水は現在は90ccずつにしています。30ccずつ3回です。おかげさまで本当に良かったです」(佐藤さん)
 いまでは明美さんのご主人も、ガン予防のためにキレート水を飲みはじめました。暑い夏でも体調が良いと喜んでおられるそうです。


【山田医師のコメント】
 ガンという病気は、いちおう悪性新生物ということですべて一括りされて考えられることが多いのですが、発生する部位によって、治療法も経過も大きく異なります。胸腺は免疫細胞と関係があり、心臓や大動脈と同じように重要な器官なので、付近にガンができた場合には手術は困難になる場合が少なくありません。その違いはごくわずかなもので、患者さんの運というものも感じざるをえません。
 大石明美さんの場合は告知されなかったようですが、医師も含めて周囲のケアが良かったのだと思います。周囲の在り方というものも、ガン治療には大きく影響しているのが事実です。

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症例7 ~膀胱ガン 手術直前に再検査を依頼。あったはずのガンがなかった~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎膀胱ガンが繰り返し、とうとう・・・
 谷岡里子さん(67歳)は、絵手紙の先生です。
 電話や電子メールの発達で手紙を書く人は少なくなりましたが、谷岡さんは昔から手紙や葉書が好きでした。日ごろ思っていることや目に止まったものをちょこっと絵に描き、簡単な言葉を添えて友人や知人に出すのです。それが口コミで評判になり、17年前から人に教えるようになりました。現在では7つも教室をもっています。
「手紙を書く」という緊張感がなく、誰にでも手軽に楽しく手紙が書ける。お互いにやりとりすると、とても豊かな気分になれるそうです。内容はなんと言うこともない絵手紙ですが、情報とか意味にあふれている現代社会ではなぜかホッとするのかもしれません。
 その谷岡さんの悩みは、10年前から慢性化していた膀胱炎でした。たびたび繰り返して、辛い症状に苦しんでいました。
 いつもは症状が始まるとすぐに病院へ行き、薬をもらって飲むとすぐに治るのですが、平成12年の夏は少し様子がおかしかったそうです。
 その前から悪いことが重なっていました。平成9年にご主人を肝臓ガンで亡くし、そのご主人が始めた会社が倒産したばかりでした。そうしたストレスの積み重ねが、自分の身にもガンを呼び寄せたのではないかと、いま谷岡さんは思い起こしています。
 とにかく薬を飲んでも症状はだんだんひどくなり、教室で教えていても何度もトイレに立たなければならず、これはどうしたことだろうと困りました。そのうち血尿がでるようになったので、谷岡さんはあらためて近くの医院に行きました。
 診察を終えた医師は、谷岡さんの目を避けるようにカルテに視線を落としながら、早口でこう言いました。
《これは・・・ちょっと、あまりいいものじゃないような気がするよ。大きい所で調べてもらってください》
 この言い方は、誰が聞いてもガンを連想させます。谷岡さんは(これはもうガンなんだな)と察し、すぐに聞き返しました。
《それならそうと・・・はっきり言っていただかないと困りますので・・・》
 先生はハッとして谷岡さんのほうに向き直り、しっかり顔を見ながら言いました。
《そう言っていただくと、僕らも仕事がしやすいのですよ》
 こうして膀胱ガンの疑いが濃いことを説明してもらいました。


◎「泣いてもしょうがない」
 それにしても、患者のほうから医師に告知を促す谷岡さんの気丈さは、どこから来るのでしょう。
「息子と娘が近くにはいますが、私は一人暮らしです。しっかり整理しておくべきこともあります。教室も7つありますから、生徒の皆さんにも、時期がくればちゃんと申し上げなければいけません。もしガンなら、一か月くらいの間にきちんとしなければいけないと思ったものですから、ここではっきりしておいていただかないと困ると思ったのです。曖昧にされると、よけいにおかしなことになると思いまして・・・」(谷岡さん)
 谷岡さんは、ガンと言われてもちろん大変だと思いましたが、ご主人をガンで亡くしていたためか、さほど大きなショックは受けなかったそうです。それよりも、身辺のことが気になって暗くなるヒマもなかったと言います。
「こういう性格ですから、落ち込むということはありませんでした。バカなんでしょうかね(笑)。でも、これは余計なことですけど、やっぱり気の持ちようも大事だと思うんです。それは前向きにというのも難しいですけど、あんまり真暗にならないことも、一つ大事なことだったんじゃないかなあと、いま振り返って思っているんです」(谷岡さん)
 また、医師のこんな言葉も谷岡さんに勇気を与えたそうです。
《ガンというのは、誰にでもあるんです。ただ、それが表に出てくる人と出てこない人がいるだけで、みんなガンになる要素はあるんですよ。だから特別な病気じゃない》
「この言葉を聞いて『あ、私一人じゃないんだ。じゃあ、泣いてもしょうがないや』と思って、すっと気が楽になったような気がします」(谷岡さん)


◎錠剤は飲めなかったが・・・
 平成12年7月12日、入院。1週間後に、膀胱鏡を使ってレーザーでガンを切り取る手術が行なわれました。これで3つあったガンのうちの2つは削除できました。
 ところが、病室に戻った谷岡さんに医師が言いました。
《残ったひとつが、膀胱の奥深くまで根が入っています。これを放置しておけばほかの内臓へ行く可能性も高いし、再発も時間の問題です。今の段階で膀胱を取ってしまったほうがいいでしょう》
 谷岡さんは手術はいやでしたが、とにかく手術がいちばんだと言う医師に何も反論できず、手術をしてもらうことにしました。ただし、手術の前に抗ガン剤と放射線を行なって、できるだけ縮小させる、という方針になりました。
 まずは抗ガン剤でした。腿の付け根から管を入れ、直接膀胱に抗ガン剤を投与する方法です。気になっていたのは副作用でしたが、やはり来ました。翌日から気分が悪くなり、食事をまったく受け付けなくなりました。
 谷岡さんは以前から、友人の紹介でアメリカ製のサプリメント(ライフパック)を飲んでいました。入院してからは、その友人がガンに良いといわれるお茶やレイシを持ってきて飲んでいたそうです。ところが、それらの食品はみな錠剤のような形になっていて、抗ガン剤を受けてからは気分が悪くてまったく飲めなくなりました。病院で配膳が始まって食事の匂いがしてくるだけで、吐き気が止まらなくなってしまうほどだったのです。
 その話をたまたまお見舞いに来ていた隣の加藤さんのご主人にポロッと言ったところ、「それならキレート水がいい」ということで持ってきてくれたのです。加藤さんは数年前に谷岡さんの隣に引っ越してきた方で、キレート水をはじめいくつかの健康食品を扱っていました。
 谷岡さんは加藤さんに言われたとおり、冷蔵庫に入れて冷たくして飲んでみました。するとただのミネラルウォーターでさえ戻していたのに、キレート水だけはスーッと入っていったのです。
「何も食べられない状態でしたけど、こんなに美味しい水があるのかと思いました。この水は何かあると直感しました」(谷岡さん)
 こうして冷蔵庫で冷たくして、朝昼晩そして寝る前と、キレート水を飲みはじめたのです。


◎手術の前に念のために再検査
 抗ガン剤の治療が終わったあと、しばらくして放射線治療が10回ほど行なわれました。その何回目かのとき、谷岡さんのカルテを見ていた放射線の先生がつぶやきました。
《このくらいだったら、切らなくていいような気がするなあ・・・》
 つまり、放射線だけでかなりの効果が期待できると言うのです。
 谷岡さんはもちろん、切らないで済むのならそれに越したことはないと思っています。だから、完全に膀胱切除という方針だった主治医には言いにくいことでしたが、思い切って尋ねてみました。
《放射線の先生が「切らなくてもいいような」とおっしゃっていたんです。放射線だけでも治るのでしょうか》
《それは放射線の先生は、放射線をたくさんやって消えてしまうという考えですからね。でも、それには少なくとも80回くらいはかけなければダメでしょう。放射線というのは細胞を焼くわけですから、80回も放射線をかけるとどうなるか。膀胱の近くには腸もほかの内臓もありますからね、臓器癒着を起こすことが十分に考えられます。もしほかの病気で手術となったときに癒着があると大変で、命取りにもなりかねない。だから、もちろん無理して放射線で治す方法もあるけれど。僕は手術を勧めるんです》
 そのように言われて、谷岡さんは納得し、最終的に膀胱を取る覚悟を決めました。
 手術は9月下旬に行なわれることになりました。そのための検査が行なわれ、いよいよ手術の日が近くなってきたところで、やはり手術に疑問を抱いていた息子さんが主治医にこうお願いしました。
《先生、くどいようですがもう1回、ガンがどこまで奥に入っているか検査はできないでしょうか。手術はその検査の結果を見て最終的に判断するということにしたいのです》
 主治医は納得し、腹部に穴を開けて膀胱の細胞組織を8か所から取って調べることになりました。ただし、こう念を押しました。
《8か所の細胞のうちの一つでも陽性だったら切ります》
 一つ取り残したガンの根が深いことを知っている主治医は、おそらく息子さんや谷岡さん本人の気休めのようなつもりで検査を行なったのでしょう。この検査で納得してもらったうえで、手術を行なうつもりだったはずです。
 ところが、医師も目を疑うような結果が出てきたのでした。


◎ガンは消えていた!?
 谷岡さんの膀胱から取られた8か所の細胞には、どこにもガンを示すような兆候がありませんでした。8か所の生検は、「オールマイナス」だったのです。
 医師は大変に驚いていましたが、それでも手術をしないことに納得できない様子でした。しかし検査前の約束もあったし、最終的には本人や家族が判断することです。最後に、こう言いました。
《ガン細胞が100パーセントなくなるということはありません。ただし、この状態では手術はしなくてもいいでしょう。ただ、定期的に検査してチェックすることだけは約束してください》
 こうして、谷岡さんの膀胱切除の手術は、水際のところで中止になったのです。
 手術をしないのであれば、もう入院している理由はありません。9月20日に退院になり、約2か月の入院生活が終わりました。
「まあ、考えてみたら抗ガン剤が効き、放射線も効き、キレート水も効いたということがあったのかもしれません。でも私には、やっぱりキレート水をいただいたことがいちばんの原因だと思っているんです。いまも続けて毎日いただいています」(谷岡さん)
 キレート水を飲むようになって、普段の生活での健康状態もかなり変わったと実感されています。
「ものすごい元気なんですよ!加藤さんもびっくりされるくらい。自分でもわかります。この年になると、朝起きたときに『しんどいな』と思うものなんですが、朝すっと起きられるようになりました。歩いていても元気で、教室の皆さんも『先生、元気になりましたねぇ』って言ってくださる。あらためてキレート水で治していただいたんだって、本当におかげさまと思って毎日感謝しています」(谷岡さん)
 退院後の谷岡さんは、主治医との約束どおり3か月に1回ずつ内視鏡での検査を受けています。半年に一度はMRIも受けています。しかしもう2年が経過した平成14年7月現在も、まったく異常は見つかっていません。
 谷岡さんは今日も元気に、7か所の絵手紙の教室をとびまわっています。


【山田医師のコメント】
 手術前に検査を依頼されたことは賢明だったと思います。ただ医師としては、治療しない段階でガンがなくなっているということは考えられないと判断するのが当然です。手術がベストの方法と考えられる場合に、怖がる患者さんを説得するのも医師の大切な仕事の一つです。
 ケースバイケースで非常に難しい問題ですが、患者さんとしては、納得できるかたちで手術を受けるかどうか医師と話し合うことは必要だと思います。

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症例8 乳ガン・骨転移 乳ガン手術、5年後にまさかの骨転移。抗ガン剤の副作用で下半身不随に?

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎患者は病院を信じるしかない
 野上忠雄さん(47歳)は、一時はもうダメかと思っていました。乳ガンの転移で再入院したお母さんが、病院から「これ以上治療法はない」と見放されたのです。ところが、たまたまキレート水と出会い、母親に飲んでもらったとこと非常に良いようで、いま再び希望が見えてきたと喜んでおられます。
 お母さんの野上郁子さん(現在65歳)が乳ガンと診断されたのは、8年ほど前の平成6年のことでした。地方自治体の乳ガン検査でひっかかり、病院で検査を受けたところ、すぐに乳ガンと診断されました。幸いなことにガンはさほど進行しておらず、手術が成功して、その後は放射線などの治療が行なわれて無事退院となりました。
「まだ若かったですし、お袋は病気一つしない健康な人でしたから、ガンと聞いたときはやはり驚きました。どこも悪いなどと聞いてませんでしたから、あのお袋が・・・と思いました」(忠雄さん)
 それでも治療がうまくいって、退院後の定期的な検査ではずっと異常は見つかりませんでした。転移も再発もないまま、5年が過ぎていったのです。
「ところが、3年前(平成11年)の春ごろから『背中が痛い』と言い始めて、病院へ行ったら脊髄のほうに転移していることがわかったんです。それで、すぐに国立のがん専門病院に入院しました。そこで抗ガン剤の治療になったわけです」(忠雄さん)
 ガンの治療後、患者さんは常に再発や転移という影に悩まされるはずです。定期的な検査の結果には、いつも胸が高鳴る思いであるにちがいありません。半年が過ぎ、1年が過ぎ、3年、4年と順調に来たあと、手術後ちょうど5年目という節目の年に脊髄転移ということがわかったとき、郁子さんはどのような思いだったでしょうか。
「かわいそうでした。泣いていましたけど、家族はどうすることもできません。私たちとしては、まずは病院の治療に期待するしかなかったと思います」(忠雄さん)
 誰もが、入院して抗ガン剤の治療を続けること以外に選択肢はないと思っていました。


◎急に下半身不随で寝たきりに・・・
 しかし結果的には、抗ガン剤はほとんど効果を現しませんでした。
 入院してさまざまな検査ののち、抗ガン剤治療に移り、退院後も検査と抗ガン剤の繰り返しの日々でした。
 抗ガン剤の副作用はひどく、郁子さんは少しずつですが弱っていたそうです。なかなか効果が現れないので、さまざまな抗ガン剤が試されました。それでも郁子さんの状態は一向に改善しませんでした。むしろ、悪化したと言うほうが正しいようでした。
「いま思うと、3年間もほとんど効果のない抗ガン剤で苦しめてしまったなと後悔しています。その最悪の結果が、今年(平成14年)の4月にでてしまったんです」(忠雄さん)
 郁子さんは、その日の朝、目覚めたときから下半身に違和感を覚えました。動こうとしても、下半身がまったく動きません。皮膚の感覚も鈍くなっていたので、すぐに病院へ行き、そのまま再入院になりました。それ以来、下半身不随で寝たきりになってしまったのです。
 病院では、原因についてはっきりした説明はありませんでしたが、よく知っているベテランの看護婦さんからは「おそらく骨髄転移によるものか抗ガン剤の副作用」と言われました。
「医師から『すべての治療はした。もう、これ以上はどうすることもできない』と言われ、『余命1年』と宣告されてしまったんです。われわれは病院だけが頼りで治療をお願いしてきたのですが、治らないとなると簡単に見放されてしまうものだなと思いました。仕方ないので、転院することにしました」(忠雄さん)


◎治療をいっさい断りキレート水を
 郁子さんは新しい病院に入院して検査を受けましたが、やはり結果は悪く「治療しても助かる確率は1パーセント」と言われたそうです。
 しかし忠雄さんとしては、入院する前から「もうこれ以上は治療しない」という条件で、入れてもらうつもりでした。
「結局、抗ガン剤というものが一つも良いことはなかったので、『もうできないなら何もしないでほしい』と言いました。医者からは『最後に1本良い注射(抗ガン剤のこと)がありますから、試してみますか』と聞かれましたが、断りました。ですから、現在もそうですけど。母はただ病院のベッドにいて食事を取っているだけです。薬も、胃薬と整腸剤以外はありません。治療はまったくしていなかったのです」(忠雄さん)
 忠雄さんに「もう治療はしないでくれ」と言わせた理由は、キレート水の存在を知って、これに最後の望みをかけていたからでした。
 前の病院で「もう治療の見込みはない、あと1年」と言われたとき、忠雄さんはようやく「病院は頼りにならない、自分たちでなんとかしなければ何もできないんだ」ということに気づきました。そして、とりあえず本屋さんへ行ってガン関係の本を読みあさったそうです。
「そのなかで、キレート水の本がお袋にいちばん合っているんじゃないかと思ったんです。寝たきりの人でも飲みやすく、動きにくい胃腸を活発にして、食べたものをキレート化して吸収を良くすると書いてありました。錠剤すら飲むのに辛そうでしたから、普通のものではダメだろうなとは思っていたんです。まさか、こんなに飲みやすい健康食品があるとは思いませんでした」(忠雄さん)
 こうして郁子さんは、5月ごろからキレート水を1日4回50ccずつ飲み始めたのです。


◎いま再び希望がわいてきた!
 郁子さんは寝たきりで、ベッドに起き上がることもできませんでした。食事は自分で取っていましたが、あまり食欲はなさそうだったそうです。
「それがキレート水を飲み始めると、まず飯が食えるようになったんです。顔色も良くなってきました。非常に良くなってきました。非常に良いのではないかと思って、続けることにしました」(忠雄さん)
 郁子さんは気分が良いようで、よく笑うようになりました。そして2週間ほどすると、ベッドの上で上体が起き上がれるようになりました。食欲は依然としてあって、少し太ったようでした。
 そして6月の検査で変化がありました。腫瘍マーカーの数値は、4月の段階まではずっと240くらいはあったのですが、これが120まで下がっていたのです。
「いくら抗ガン剤をやっても下がらなかった腫瘍マーカーが、一気に下がったんです。担当の先生もびっくりして、『奇跡が起こっているのかもれない』と言っていました。
 最近は上半身を起こすのも、だいぶ楽になってきたようです。体の痛みも、以前のようにないみたいで、表情だけ見てもずいぶん元気そうになりました。本人はキレート水が奇跡を起こしているんだと信じこんでいて、また完治して家に戻るつもりでいます。家族もその気になって治ると思っています。だから、きっと治ると思います」(忠雄さん)
 最後に忠雄さんにうかがいました。
 治療を受ける患者としては、時には医者の言うとおりではなく、自分で判断して断ることも必要だとお考えですか。
「そういうことが必要になる時というのは、必ずあると思います。医者だけが100パーセント正しいとは、言えないんじゃないですかね」
 ガンは突然やってくる病気で、患者さんも家族もなかなか心の準備ができていないことが多いはずです。しかし、4人に1人はガンで亡くなっているほど、現代では当たり前の病気でもあります。そこに、病院と患者さん側の考え方のギャップがあるのかもしれません。


【山田医師からのコメント】
 ガンというのは、私は免疫病という面も非常に大きいと思っています。免疫病であれば、それは自分で治すしかありません。自分の健康度を上げることが最低条件なのです。治るだけの体力、免疫力をつけることが大切なのです。
 そのためには、本人が「治すぞ」という気力を失わないことが非常に大切です。キレート水を飲む場合にも、信じて飲む場合と「こんなもん効かん」と思って飲む場合では、現れてくる効果は異なってくることが多いのです。また、本人だけでなく周囲の家族も大事です。本人が信じて、頑張ってガンをやっつけようという気になっているのに、家族が悲しがってばかりいては治るものも治りません。
 病院に失望する患者さんは珍しくありませんが、そのようなとき野上さんのようにキレート水をきっかけにまた希望を取り戻していただければ、それも自然治癒力の向上を大きく後押ししてくれるはずです。

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症例9 ~胆管ガン 母はガン末期の苦しみを免れ、弟は胆管ガンを克服した!~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎お母さんが飲み始めたキレート水
「母も弟も、キレート水がなかったらと思うと・・・本当に恐ろしいです」
 太田真弓さん(53歳)は、感慨深げにインタビューに答えてくれました。
 始まりは平成9年でした。お母さんの飯田智代さん(当時68歳)が肺炎で入院になり、このとき初めてキレート水を試してみました。東京にいる智代さんの弟がたまたま木村所長のことを知っていて、キレート水を送ってくれたのだそうです。
 そのときは順調に回復したので、退院後は特にキレート水を飲むこともなく元気に暮らしていました。
 ところが平成12年4月、智代さんは膵臓ガンと診断されます。2センチの腫瘍が認められ手術を勧められましたが、智代さんはすでに70歳になっていました。手術は体に大きな負担になると判断した家族は、医師の勧める治療をすべて断り、退院して、キレート水だけで療養することにしました。
「それが、本当に不思議だったんですけど、母は家でとても元気に暮らしていたんです。本人には告知していなかったのですが、自分自身がガンであることなどまったく気づかないほど、体の調子は良いようでした。そしてその年の10月、最後は心臓発作で亡くなりました。
 亡くなる前日まで食欲はありましたし、まわりの人も『夢でないか』と言うくらいに母は元気でした。キレート水だけで病院の治療はまったくしませんでしたが、痛みもなく、安らかに亡くなりました。家の者も、この先末期になって苦しんで亡くなるのではと恐れていたのですが、そういうことはまるでなく、本人も家族も幸せだったと思います」(真弓さん)


◎弟が突然の黄疸、ガン宣告
 ところが、悪いことは続きました。
 平成12年10月にお母さんが亡くなり、その「ふたなのか」の法要が終わって家族でホッとしているとき、真弓さんは弟の飯田敦夫さん(現在51歳)の顔色が異常に悪いことに気づきました。すぐに黄疸だと思いました。
 その1年くらい前、敦夫さんはかかりつけの先生から「脂肪肝かもしれない」と言われ、詳しい検査を勧められました。その結果が少し悪かったので大きな病院に検査入院となり、そこで「胆管が硬くなる病気」と診断されました。ただ、すぐに手術の必要もないということで退院し、それからは2か月に一度ずつ定期検査を受けていました。
「母が亡くなる少し前から、弟は会社のことや家庭のことでストレスを抱えていたようです。そこに母の死で・・・それも元気だったのが突然に亡くなったので、そうとうショックだったと思います。そういうことが重なったのかな、なんて話していました。そのころはまだ痩せていませんし、まさかガンだとは誰も思っていなかったのです」(真弓さん)
 法事でバタバタしていて気づきませんでしたが、敦夫さんの顔はひどくドス黒く、すぐに病院へ直行しました。診察した医師は、こう言いました。
《これは閉塞性黄疸というもので、胆管にガンがあるか、石があるかです。それ以外には考えられません》
 お母さんの不幸に続いて弟がガンと宣告され、真弓さんは目の前が真暗になったそうです。
 しかし、悲しんでいる暇はありません。真弓さんには、亡くなったお母さんのことで、やらなければならないことが山積していました。また敦夫さん夫婦にはまだ小さい子どもがいて、奥さんも子育てで手いっぱいでした。結局、敦夫さんは一人で医師と相談しながら治療を進めていくことになりました。
 すぐに入院になり、「とにかくまず黄疸を取らないといけない」ということで、敦夫さんの体には胆汁を体外に出す管が付けられました。そしてその胆汁から、はっきりとガン細胞が確認されたのです。また、内視鏡で切り取った細胞を取って調べても、同じようにガンの痕跡が認められました。
 こうして敦夫さんの体がガンに侵されていること、その場所はおそらく胆嚢から胆管のどこかであるということがわかりました。


◎ガンはどこにもなかった!?
 真弓さんは、弟がガンになったと聞いて、すぐにキレート水を思い出しました。
(お母さんがあれだけ元気になったのだから、弟もきっとこれで助かる)と考えたのです。敦夫さんは入院して間もなく、キレート水を1日4回50ccずつ飲みはじめました。
 ガンの診断は確定し、基本的に手術で切除する方針が決まりましたが、しばらく検査が続けられていました。ガンの場所が、なかなか確定できなかったのです。腹部に穴を開けて腹腔鏡を入れてさんざん調べましたが、結局ガンは見つかりません。
 入院して2か月がたとうとしていました。医師は決断し、敦夫さんに説明しました。
《ガンの増殖は待ってくれません。膵臓に転移している可能性もあります。とにかく開腹してみて、悪い所を切除したほうがいいと思います。基本的には胆嚢と胆管を取る手術ですが、もし膵臓に転移があればこれも切除します。その場合は8時間くらいかかる大手術になります》
 敦夫さんは、体に大きな負担をかける手術は、できれば避けたいと考えていました。お母さんの智代さんを身近に見ているので、敦夫さんにもキレート水だけで治してみたいという気持ちがありました。
 しかし、膵臓ガンは早期に手術できなければ助からないとも聞いていたので、手遅れになるのを恐れ、迷ったすえに手術することにしました。
 手術は、12月の中旬に行なわれました。
「ところが、結局開腹してみたら、ガンは見つからなかったのです。ただし、胆管は硬くなっている部分があったので管を広げるものを入れ、胆嚢にはガンはありませんでしたが、もう働きがなくなっていて、あっても悪さをするだけだからということで切除されました。また、付近のリンパ節もガンはなかったのですが念のため取られました。手術は2時間で終わりました。膵臓はもちろん、もともとのガンさえなくなっていたのです。何も治療はしていないのですから、キレート水以外には考えられません」(真弓さん)


◎その後の定期検査も異常なし
 手術のあと、まもなく平成14年が明けました。
 敦夫さんはお正月に10日ほど家に帰ることが許可され、その後病院に戻って放射線治療を受けました。密閉された部屋に48時間、閉じこもって放射線を浴びる治療法でした。放射線治療は1回だけだったためか副作用はまったく現れず、食欲も変わりありませんでした。
 退院は、2月の初めでした。
 医師は自宅でしばらく療養を勧めましたが、敦夫さん本人はいたって元気でしたから、退院の翌週から仕事に復帰しました。最初の数日はさすがに疲れましたが、すぐに慣れて、以前の調子を思い出したそうです。
 結局、胆汁を出してキレート水を飲みはじめてからは、敦夫さんの体調はどこも問題がないほど良かったのです。敦夫さんも真弓さんも、もちろん医師も、みんなガンがあるものと思っていましたから手術になりましたが、それも「いま考えれば、しいて必要なかったのではないか」と敦夫さんは思っているそうです。
 現在もエコーやCTの検査を定期的に行なっていますが、医師からは「悪くなっていない」と言われています。
「弟のガンは。数週間で消えたことになります。おそらく早期ガンだったのだと思いますが、それでもキレート水のおかげで消えたとしたら、あらためてすごいものだと思いました。弟も信じ込んで、今も飲み続けています」(真弓さん)


【木村所長のコメント】
 お母さんのご不幸のあと、弟さんもガンということで、真弓さんはじめご家族は大変だったと思います。しかし、敦夫さんは病院へ通うのも、医師からの話を聞いていろいろと相談するのもすべて一人でこなされていたそうです。ガンと宣告されて、もちろん気持ちは滅入ったことでしょうが、しっかりと自分を保ってこのように行動されたことに敬服しています。結果が良い方向に出て、本当によかったと思います。

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症例10 腱鞘炎・歯槽膿漏の痛み 飲用後、即効的に痛みが消えた!夢に見た痛みのない生活に戻れた!

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎「痛みさえなければ素晴らしい人生なのに」
 片田恵理子さんはもう65歳になりますが、中小企業の事務職として長年勤務を続けてきて、現在も会社の欠かせない戦力として毎日元気に働いています。
 ただし恵理子さんには、50歳のころからずっと悩んできたことがありました。それさえなければ、この世はどれだけ幸せで良いものだろうと、いつも思っていたそうです。
 悩みのタネは、体の痛みでした。きっかけは15年前に突然始まった、右手首の関節の痛みでした。良くなったり悪くなったりを繰り返しつつ、結局は少しずつ悪化していったそうです。やがて左手の手首も同じように痛くなってきて、一時は家事も仕事も何もできなくなるほどでした。
 病院で診てもらうと、腱鞘炎と診断されました。薬をもらいましたが、まったく効果はありませんでした。
 この15年来の痛みが、最近になって今まで経験ないほどひどくなってきたのです。
 手首の痛みは、肘、肩、さらに背骨、腰へと伝わるように広がっていきました。
 おまけに悪いことに、5年ほど前、重いものを落としてからずっと痛かった左膝が悪化してきて、水がたまってひどく晴れてしまいました。正座はもちろん、家の玄関前の3段の階段を降りるだけで激痛に苦しみました。
「ほんとに、なんで私ばかりこんなに痛い思いをせなあかんのやろかと、そればっかり思っておりました。いよいよ全身に痛みが広がっていき、これはきっと悪い病気に違いないと思って大きい病院で診てもらったのですが、特に異常はないと言われたんです。これだけ痛いのに異常なしなんて、そんなわけないと思いましたけど、専門家のお医者さんに何をどう言っても始まりませんからね」(片岡恵理子さん)
 関節の慢性的な痛みはたしかに、命に関わるような障害ではありません。原因をしいて探せば「年齢」「老化」という面が大きく、医師にとっては「ガマンしてできるだけひどくしない生活を」と言うしかないのでしょう。
 しかし生活あっての生命ですから、痛みによってそのクオリティー(質)がひどく低下してしまうのであれば、たとえ命に関わる病気でなくともしっかり治したいのは当然のことです。
 恵理子さんは、あらためて自分の健康は自分で守るしかないんだということに気づき、自分の無力さに呆然としたそうです。
 平成13年1月にふとしたことで出会ったキレート水は、そんな恵理子さんを勇気づけるのに十分でした。


◎数時間で痛みが消える!?
 その日、恵理子さんは友達に誘われて自然食品・機能性食品の販売店の主催で行なわれた木村所長の講演会に出席しました。そのときには特に手首から肩への痛みがひどく、友達のクルマから降りるときにドアも閉められないほどでした。
 ところが、木村所長の講演を聞き、キレート水を試飲して、そのあと1時間ほど木村所長もまじえて懇談したあとで友達のクルマに乗り込むときには、すでに痛みはかなり引いていたことを実感していました。
「それははっきり自覚できました。だから友達のクルマのドアを、いっぺん試しにバタンと、思いっきり閉めてみたんです。できるかな?って。そしたら、力を入れても全然痛くないじゃないですか。バッグも、しっかり持てました。こんなことは、50代になってからありえなかったのにと思って・・・」(恵理子さん)
 その日以来、恵理子さんはキレート水を毎日飲み続けました。2~3か月続けると、少しずつ温かくなってきたことも手伝って、体がどんどん動くようになってきました。もう治っちゃったと、恵理子さんは思ったそうです。
 ところが、そうなると自然にキレート水も飲まなくなってしまいます。キレート水をやめても、体調は変わることはありませんでした。ところが、ゴールデンウイークのころになって、またひどい痛みにおそわれたのです。痛みは手首でも膝でも肩でもなく、歯。歯槽膿漏からくる虫歯でした。
 歯が痛みはじめると、筋肉が緊張するためか肩も痛くなってきました。恵理子さんは肩の痛みが始まって、またキレート水のことを思い出したのです。
「あれを飲めばまた治るんやないかと思って、またキレート水を飲んだんです。それでまた注文して、大至急送ってもらいました。翌日届いたので、急いで梱包を解いてキレート水を飲むと、本当にものの数時間で、痛みがきれいに取れてしまったんです。だんだん方が軽くなってきて痛みがなくなったんですけど、そのうち虫歯の痛みまで消えてしまってびっくりしたんです。すごい水なんだなと思いました」(恵理子さん)


◎肌の新陳代謝が活発になり、シミも消えた!
 歯痛のほうは、その後歯科医院できちんと治したそうですが、キレート水は今度こそ死ぬまで続けて飲もうと、恵理子さんはこのとき決心しました。最近では、自分の体験をまわりの人に話し、「キレート水は本当に素晴らしい」と勧めてどんどん飲んでもらっているそうです。
「何がいちばん嬉しいって、『最近顔がきれいになったね。シミがなくなったんじゃないの?』と言われることほどうれしいことはありませんね。やっぱり痛みというのは自分だけの世界ですから、いくら親しい人でもわかりにくいと思うんです。だからたとえ治っても、その喜びがどれほど大きいかなんて、他人にはなかなかわからない。『シミが消えたね、シワが少なくなったんじゃない?』って何気なく言われると、しみじみキレート水を飲みつづけてよかったなって思ってしまうんです(笑)」(恵理子さん)
 恵理子さんの肌はたしかに、67歳には見えないほどツヤがあり、みずみずしい感じがしました。キレート水を飲みはじめて、肌の新陳代謝が若いころのように活発になったと、恵理子さん自身も実感しているようです。ますます元気で、あと10年は働くと張り切っていました。


【山田医師のコメント】
 年齢を重ねると、誰しも体のどこかに痛みを抱えて生きているものです。その痛みが生活の支障になるほど大きい場合には、気持ちが沈み、また行動も限られてくるので、自然治癒力をしだいに落としてしまうことにつながります。
 主に老化現象による間接の痛みなどは病院で完治させることが難しいものですし、本人も諦めてしまうことが多いのですが、キレート水のような機能性食品や物理療法などですっきりすることも珍しくありません。いろいろ試してみて、少しでも調子を良く保ち、生き生きとした生活を保つことは大切なことです。

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症例11 ~肺気腫 呼吸困難で死ぬかと思ったが、大量の痰がでて、みるみる改善~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎持病だった「喘息様の咳」
 橋田千恵美さん(67歳)は、15年ほど前から喘息様の症状がはじまりました。慢性的な咳が続き、ときどき呼吸困難になるほどの発作が起こりました。
 ただ、橋田さん自身は本当に喘息なのかなあと疑っていました。実は、橋田さんは3年前に甲状腺ガンで手術を受けているのですが、そのとき主治医から「そない言われているけど大丈夫やな、喘息と違うかわからへん」と聞いたのだそうです。
 ただ、その後も咳はずっと続いていました。
 平成13年6月、たまたま近所に健康食品のお店がオープンして、友達と一緒にその講習会に参加することになりました。そこで木村所長のお話を聞いたのです。
「それまで私は、健康食品なんて全然興味なくて初めて行ったんです。でも、咳止まるんやったら買うわー言うて、(キレート水ではないものを)一つ飲んでみることにしました。だけど高いもんやから、正直言って木村センセの言われたとおりには飲まなかったんです。そう差し迫ったもんやなかったし・・・」(橋田千恵美さん)
 真面目に飲まなかったためか、橋田さんの咳はほとんど変わりませんでした。その年の11月、かかりつけのお医者さんのところで胸のレントゲンを撮ってもらいましたが、そのときは「特に異常なし」と言われました。


◎心臓で苦しいのかと思ったが・・・
 その後、千恵美さんの咳は良い日もあれば悪い日もあるというような状態で、平成14年を迎えました。正月が過ぎて2月になったころ、とても親しい友人のご主人が入院して手術することになり、少なからずショックを受けたそうです。また、寒さのせいもあったのか、少しずつ喘息のような発作が出てくるようになりました。
 それからは体調は急に悪化をたどり、千恵美さんは日に日に弱っていきました。
 家の前のゆるやかな坂道も、普段はさっさと歩けるのに、まったく進めなくなってしまいました。家からたった200メートルの薬局へ行くのに、タクシーを呼びました。
 呼吸が苦しく、背中をまるめ、両肩を上げて、子供が泣きじゃくるようにしなければ、息はなかなか出たり入ったりしてくれませんでした。
「本当に苦しかった。横になると咳き込んで息ができなくなるので、夜もずっと座っておりました。座りながら、ひえええっ、と言いながら息をしていました。心配して電話をもらっても、しゃべられへんのです。どんなに辛かったか・・・」(橋田千恵美さん)
 千恵美さんは、これはもしかしたら心臓ではないかと思ったそうです。両親が心臓病で亡くなっているので、自分も死ぬときは心臓だろうと思い込んでいたのです。いま、その病気が始まったのではないかと、千恵美さんは恐れました。
 2月下旬になって、近くの先生に診てもらいました。すると「心臓はなんともない」ということでした。それにしても、こんなにひどいのは初めて。どこが悪いのか、ということになりました。
「11月に一度レントゲンを撮っていましたから、先生は再び撮ろうかどうか迷っておられました。『どないしようかな』と言うから、私は『レントゲンお願いしますわ。アレがあったら困るから』と言って、やってもらったんです」(千恵美さん)
「アレ」というのは、もちろんガンのことです。千恵美さんは、まさかとは思っていましたが万一のことを思って、そう言ったのでしょう。
 ところが、レントゲン写真を見た医師はふと顔をくもらせ、言葉に詰まってしまいました。その様子に気づいた千恵美さんは急に心配になりました。
《先生、(ゼーゼー)いらんこと、(ゼーゼー)言わんといてね》
 千恵美さんは、苦しげに言いました。医師と話をしているときも、机に頬杖をつき、背を丸めて肩で呼吸している状態です。しかし医師は難しい顔をして、こう言いました。
《言わんわけに、いきません》


◎次の息をついたら終わりかも・・・?
 まだまだ寒い日が続いていましたが、診察室の窓の外では梅がもう散りかけていました。千恵美さんは窓の外を見ながら、医師の言葉を待ちました。
《あんたは、肺気腫です。》
《肺気腫って、(ゼーゼー)酸素引っ張る、(ゼーゼー)アレですか?》
《そうやなぁ、近い将来は、酸素を引っ張らなあかんかな》
《え~、それはいややなぁ》
 千恵美さんは苦い顔をしましたが「アレ」でなくて心からホッとしていました。
 しかし、3月になると体調はさらに悪くなっていくようでした。3月11日にお姑さんの一周忌の法事があり、疲労が重なったのか、千恵美さんの容態は最悪の状態になってしまいました。
「もうあのころは、この息吐いたら次の息が据えるか、この息吸ったら次はもう吐けんかもしれんと、そんな感じでした」(千恵美さん)
 このような状態でしたから、千恵美さんが健康食品に注文の電話をしたとき、その声を聞いた担当者も、千恵美さんの只事でない様子に大変に驚いたのです。すぐに店長をともなって、橋田家まで駆けつけました。お姑さんの法事の2日後のことでした。
「そのときよく知っている担当者がね、私をみたとたん内心(これはもうあかん、ああ橋田さん、もうこれで終わりなんやなぁ)と思ったそうです。それほどひどく見えたんでしょう。元気になってから、本人がそう言っていました」(千恵美さん)
 その幽霊のような千恵美さんを前にして、店長はキレート水とそのパウダー(非売品)を差し出し、こう言いました。
《これは私どものほうで差し上げますので、だまされたと思って飲んでみてください》
「私は『それなら、だまされるわぁ』言うて、今度こそ言われたとおりにきちんと飲みましたよ(笑)」(千恵美さん)


◎めきめき回復、旦那より元気に
 キレート水を飲み始めてしばらくすると、黄土色の固い痰が大量に出はじめました。いままで空咳で痰などほとんど出なかったのに、まるで肺の大掃除のように、あとからあとから出てきました。それをティッシュに取って捨てるたびに、胸が軽くなっていくようでした。
 3日ほどすると、健康食品店の担当者がやって来て、また次に飲む分を持ってきてくれました。千恵美さんは「あんたらに悪いから、今度から自分で買うわ」と言いました。ご主人が、「経済的にえらいけど、今度はしっかり飲んでみたらどうや」と言ってくれたのです。
 そして3月19日。千恵美さんはだいぶ良くなって外出もできそうに思えたので、ずっと喘息でかかっていた大きい病院の医師のほうに診てもらいに出かけました。
「だいぶ良くなっていたんやけど、先生も経過を聞いてびっくりしとりました。薬を一つ変えましたということで、また薬をもらって帰りました」(千恵美さん)
 病院から帰ると、やはり疲れたのか、また呼吸が荒くなっていました。しかし、食事をして薬を飲むと間もなく楽になり、その翌朝は何年ぶりかですっきりした朝を迎えられたそうです。
 ぐっすり眠れて、目覚めたときには体に疲労感がまったく残ってない。朝食も美味しい。そんなことは、若いとき以来でした。昨日出かけて今日はこのように良い体調で、それが自信になったのか、千恵美さんはご主人のためにお弁当を作って持っていこうと思い立ちました。
「主人は退職して今はバイトに通っているので、夕食の弁当を持っていこうと、午後に支度をして職場まで持って行ったんです。すると主人が『お前、えらい肩降りて背伸びたな』と言うたんです。体がしゃんと起きて、胸を張って立っていられたから、そう見えたんでしょう。私は『あそう?楽なんよ』と素っ気なく言いましたけど、嬉しかったです」(千恵美さん)
 千恵美さんはキレート水を飲み始めて1週間で劇的に症状が改善しました。当初は迷ったそうですが、ご主人が「経済的にえらいけど、だまされたと思って飲んでみたら」と言ってくれたのでふんぎりがつきました。
 6月に大きい病院で検診を受けて詳しく調べると、結果は「肺機能良好」でした。
「いまは歩いても、ちゃっちゃ、ちゃっちゃ。主人より先に歩くくらい。主人もマスターズに出るくらいやから運動する人なんやけど、それよりも早い。主人は『お前の元気のバロメーターは自分より前を歩きよることや』と言っています」(千恵美さん)
 千恵美さんの声は若々しく、とても元気でした。


【木村所長のコメント】
 肺気腫でキレート水を試された患者さんは、橋田さん以外にも数例ありました。しかし私の知るかぎりでは、どの患者さんも思わしくなかったのです。
 飲みはじめてしばらくすると良くなってくるのですが、その後タバコを吸ってしまったりキレート水を中途半端に中断したりして、結局もとのもくあみというケースばかりでした。私の知るかぎり、肺気腫で治った患者さんは橋田さんだけです。
 当時は本当に大変な状態までいったようですが、キレート水に体がうまく反応してくれたようです。

◎肌の新陳代謝が活発になり、シミも消えた!
 歯痛のほうは、その後歯科医院できちんと治したそうですが、キレート水は今度こそ死ぬまで続けて飲もうと、恵理子さんはこのとき決心しました。最近では、自分の体験をまわりの人に話し、「キレート水は本当に素晴らしい」と勧めてどんどん飲んでもらっているそうです。
「何がいちばん嬉しいって、『最近顔がきれいになったね。シミがなくなったんじゃないの?』と言われることほどうれしいことはありませんね。やっぱり痛みというのは自分だけの世界ですから、いくら親しい人でもわかりにくいと思うんです。だからたとえ治っても、その喜びがどれほど大きいかなんて、他人にはなかなかわからない。『シミが消えたね、シワが少なくなったんじゃない?』って何気なく言われると、しみじみキレート水を飲みつづけてよかったなって思ってしまうんです(笑)」(恵理子さん)
 恵理子さんの肌はたしかに、67歳には見えないほどツヤがあり、みずみずしい感じがしました。キレート水を飲みはじめて、肌の新陳代謝が若いころのように活発になったと、恵理子さん自身も実感しているようです。ますます元気で、あと10年は働くと張り切っていました。


【山田医師のコメント】
 年齢を重ねると、誰しも体のどこかに痛みを抱えて生きているものです。その痛みが生活の支障になるほど大きい場合には、気持ちが沈み、また行動も限られてくるので、自然治癒力をしだいに落としてしまうことにつながります。
 主に老化現象による間接の痛みなどは病院で完治させることが難しいものですし、本人も諦めてしまうことが多いのですが、キレート水のような機能性食品や物理療法などですっきりすることも珍しくありません。いろいろ試してみて、少しでも調子を良く保ち、生き生きとした生活を保つことは大切なことです。

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症例12 ~子宮ガン 強硬に勧められた手術を気丈に断り、キレート水で見事に結果を出した!~

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎突然の不正出血、そして子宮ガン
 西本希美さん(28歳)は、卵の販売会社を経営しています。「日本一こだわり家族のこだわり卵」というブランドで、健康にこだわった卵を出荷しているのです。
 西本さんの体に異変が起こったのは今から4年前の平成10年3月、24歳のときでした。突然、不正出血があったのです。
「それまで生理の周期は確かでしたし生理痛などもありませんでしたから、突然の出血で怖くなりました。ちょうど土曜日でどこも病院は開いてなかったので、救急病院を探して行きました。当直の先生は婦人科の専門の先生ではなかったのですが、診てもらうと『ちょっと卵巣が腫れているかな』と言われ、出血を止める薬をだしてもらって、その日は帰宅したんです」(西本さん)
 翌日は再び出血するようなことはありませんでしたが、不正出血は初めての経験でやはり不安な日曜日だったそうです。西本さんは月曜日になってから、そのあたりでは婦人科で有名だという大きな病院へ行き、もう一度診てもらうことにしました。
「女の先生でした。経過を話すと、月経は清浄でもホルモンバランスのくずれで急に出血することもあると言われ、少し安心したんです。それでも『いちおう子宮ガンの検査をしておきましょうね』という話で、念のために検査を受けました。帰ってからは何の不安もなく、いつもと同じように働いて過ごしていました。不正出血のことは、ほとんど忘れているほどでした。ところが1週間後に検査結果を聞きに行くと、子宮ガンだと言われたのです」(西本さん)
 医師の態度は、手術しなければ悪くなるだけだと決めつけているように見えました。「若いから進行も早いので1か月以内に手術を受けたほうがいい。入院できる日を1週間以内に決めてください」と伝え、一刻も早い手術をせまったのです。


◎手術で切ってしまうという発想に違和感
 西本さんは、とにかく両親に報告して相談しました。
 たまたま西本さんの両親が木村微生物研究所の木村所長と懇意にしていたので、意見は明快でした。「手術は絶対にするな。木村先生のキレート水があるから」ということでした。
 西本さん自身も、古くから木村所長のことを知っていたので実際に会って相談しました。木村所長の感想もやはり同じで、「手術もいいけれど、一度これでチャレンジしてみようよ」というものでした。
「私自身、告知された瞬間から比較的冷静でした。驚きましたが、『とにかく手術』という先生の考え方がもう一つ納得できなかったんです。
 あの当時、たしかに自分のなかでいろいろと精神的にも肉体的にもストレスがたまっていた時期ではあったかなと思いました。自分のなかでガンのようなものを創り出す要素があったと思ったんです。だから、切ったとしてもまた出てくるかもしれない。悪い所は切ればいいという考え方よりも、自分が創り出したものなら、自分で治せるんじゃないか。そういう話を木村先生にも効いていただいて、とりあえず2か月間、キレート水を大量に飲んで、様子を見ることにしたんです」(西本さん)
 こうして西本さんは、キレート水を飲みながら自宅療養を始めました。といっても不正出血はあれ以来なく、他に症状もありませんでしたから、普通に仕事をしながらただ三度三度食前にキレート水を飲むという生活でした。


◎転院して経過を見守ることに
 2か月後の平成10年5月、西本さんは検査を受けることにしました。セカンド・オピニオンを得ることが必要だったこともあり、今度は前の病院とは別の国立病院で受診することにしました。
 しかし検査結果は、前回とまったく同様でした。そして主治医からはやはり同じように「切ったほうがいいね」と言われました。ただ少しだけホッとしたのは、前の病院の女医先生と違って「必ず転移する、放っておいても絶対に良くならない、だから切らなければ助からない」という言い方ではなかったことでした。
 西本さんを診た国立病院の婦人科のおじいさん先生は、こう言ってくれました。
《あなたがそれほど言うなら、様子を見るよりしょうがないな。ただし、3か月に一度、必ず検査を受けなければいけません。来られますか?》
 西本さんは前の病院の女医先生の決めつける言い方が合わないと感じていたので、思い切って転院することに決め、こう言いました。
《わかりました、3か月に一度は必ず検査に来ます。それで本当に悪くなったら、手術も考えます》
 こうしてまた3か月間、キレート水を飲みながらの自宅療養が続けられたのです。
◎5か月で正常値に戻っていた!
 もう夏も後半に入っていました。
 キレート水は当初の2か月よりは量を減らしましたが、それでも毎日3回ずつ飲みつづけていました。そしていよいよ3か月目になったので、西本さんは国立病院へ検査に行きました。
 体調のほうは、それまでも特に自覚症状はありませんでしたが、依然としてふだんと変わらずふつうに仕事をこなしていました。出張の機会も多かったのですが、必ずキレートのボトルを携帯することは忘れませんでした。自分としてはどこも悪くないような体調で、西本さんの気持ちのなかから子宮ガンというイメージが遠ざかっていたように思えていました。だから検査を受けに行く日も、気軽な感じだったそうです。
 はたして、結果は驚くべきものでした。
「いつものように子宮から組織を取って調べる検査をしたんですが、検査結果は正常だったんです!私は『やったんだ、やはり木村先生のキレート水はものすごいものだったんだ』と心のなかで叫びました」(西本さん)
 しかし、主治医の老医師は冷静でした。
《ああ、今回の検査では数値は戻ってるな。だけども、検査結果は1回正常値に戻ったと言っても安心できませんよ。むしろ、たまたま出なかっただけと考えなければいけない。
 だから、こうしましょう。3か月ごとの検査はこれからも続け、それで正常値が3回続けて出たら、今度は半年に一度の検査にしましょう。その半年に一度の検査で正常値が3回続けて出たら、今度は1年に1回にしましょう。
 とにかく、一度はそういう状態になっていたのですから、ここで油断して『治った』と考えてしまうのは危険です。検査は必ず続けて下さいよ》
 その言葉に西本さんは大きくうなずいて、帰りました。すぐに両親と木村所長に報告し、医師に釘を刺されたことも忘れて大喜びしていました。
 その後の3か月ごとの検査結果も「正常」が続き、検査は現在では半年に1回のペースになっています。
「実は最後の検査(平成13年初冬)から半年以上たってしまっているんですが、忙しくてまだ行けてないんです。もちろん、忘れていませんから近々必ず行きます。
 それにしても、ただただ今になって心から思うのは『切らなくて良かったな』ということです。木村先生を信じ、キレート水を信じ、そして自分の体には元に戻そうとする力が絶対にあるんだと信じることができたからこそ、こういう結果が得られたのだと思います。本当に木村先生には感謝しています」(西本さん)
 西本さんはまた、不正出血がたまたま起こったこと、それをそのままにしないで受診したこと、手術をしないで経過を見守ることを許してもらえる医師に出会えたこと(そのために納得して自宅療養できた)など、自分は幸運だったと感謝しておられました。
 現在ではすっかり元気に、良い食品のために働いています。

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症例13 胃ガン~胆嚢炎ほか 70キロあった体重が半分に。瀕死の状態が元気に駆け出すほどに回復!

キレート水 ~体験談集~「ガン攻略」生死を分けるターニングポイント 第3章より

◎すべては胃ガンの切除手術から始まった
 安藤啓次郎さん(76歳)が胃ガンの宣告を受けたのは昭和61年。ちょうど60歳のときでした。安藤さんは調理師で、病院に入院している患者さんのために食事を作る調理師の仕事をずっと続けていましたが、定年退職で新しい職場につき、第二の人生を歩み始めようとした矢先のことでした。
 幸い手術で助かりましたが、以来さまざまなことがあり入退院を繰り返しました。一時は生死をさまよう状態になりましたが、15年目にしてたまたまキレート水に出会い、驚くべき回復を見せたのです。
 その急激な改善にいちばん驚いたのが、長年連れ添って看病を続けていた奥さんの澄江さんでした。その澄江さんに、お話をうかがうことができました。
「主人の家系は長生きで、みんな90歳以上まで元気でした。ですから60歳で胃ガンになったときも、きっとこの人は助かると思っておりました。ガンは胃の上部にあって全摘出になりましたけれども、まだ体力があったせいか、手術後はぐんぐん回復して2年くらいは元気に勤めていたのです」(澄江さん)
 ところが、3年目くらいから体調がすぐれないというようになりました。そして手術後5年目にあたる平成2年9月、大変なことが起こったのです。
「その日、朝食になかなか起きてこないので起こしに行ったんです。ところが、いくら呼んでも起きる気配がありません。不審に思って顔を叩いてみると意識がないのです。驚いて救急車で病院へ行くと、一過性脳虚血発作とのことでした。そのまま入院となり、検査の結果、肝障害と高血圧があることもわかりました。3週間ほどで退院となりましたが、1か月後の11月には貧血で再入院しました。これは1週間で退院しました」(澄江さん)


◎貧血は医療ミスのせいだった!?
 安藤さんの体は、想像以上に悪かったようです。退院したあとも体調はすぐれず、ひどい食欲不振が続いていました。
 そして年を越した平成3年2月19日、胆嚢が炎症を起こして破れ、その膿がお腹中にまわってしまったということで、また入院になりました。このときは3か月半のあいだ、腹腔内の膿を出しながら輸血と点滴を行ない退院となりましたが、その後11月ごろになってまた肝機能が低下して非常に危険な状態となり、手術が行なわれました。
「主人はひどく痩せて、70キロあった体重が半分の35キロまで落ちていました。担当の先生からは『助かる見込みは五分五分』と言われましたが、手術は成功して、翌年(平成4年)2月に退院しました。痩せおとろえて見る影もありませんでしたが、本人は以外に元気で、主人の生命力に子どもともどもあきれていました。また、このころはまだ、病院の先生には感謝の気持ちでいっぱいでした」(澄江さん)
 ところが、やはり安藤さんの体調は上向きになりません。食欲不振は続き、ひどい貧血によって入退院を年に5~6回も繰り返していました。
 そんな日々が5年ほど続いたあとの平成9年3月、病院から夢にも思わないようなことを説明されました。
「それはびっくりしました。平成3年に行なった胆嚢の手術で使用した管が、体内に残っているので、これを手術で取り出すと言うのです。その間いろいろな検査をしていながらわからなかったのかと、腹が立ちました。2時間の手術のすえ取り出すと、10センチくらいの長さの管が出てきました」(澄江さん)
 ただでさえ体力が弱っている安藤さんなのに、さらに無用な手術によって大変な思いをすることになってしまったのです。このようなことはときどきマスコミで報道されていますが、表面に出るのはほんの一部なのかもしれません。信頼している患者側にしてみれば、驚き以外に言葉が出ないのは当然でしょう。
 それでも手術後の安藤さんは、以前ほどの貧血はなくなったそうです。


◎数々の健康食品も効かなかった
 しかし食欲不振でガリガリに痩せているのは変わりありませんでした。
 そのころ、澄江さんはふと思い出したことがありました。澄江さんのお父さんは薬剤師として薬局を経営していました。
「父もやはり胃が悪かったのですが、自分のために薬を調合することは一度も見たことがありません。薬はいっさい飲まず、薬草を取ってきて飲んでいたのです。それを思い出して、4年ほど前(平成10年)からイチョウ葉、熊笹、酵素、プロポリス、ロイヤルゼリーなど、さまざまな健康食品を次々に主人に飲ませていました。でも、どれもいまひとつはっきりした効果は出ませんでした」(澄江さん)
 安藤さんの体調は以前と変わることなく、次第に年齢とともに体力が衰えていきました。病院へ行くときは澄江さんが付き添いますが、家を出て10メートルほど歩くと「やっぱりタクシーで行こう」と言うことが多くなりました。ご主人の足腰の衰えがここへきて急激に進んできたように思え、澄江さんには「このまま衰えて、やがて寝たきりになってしまったらどうしよう」という不安が大きくなっていました。
 そんなとき、たまたま近所に健康食品の店が新しくオープンしました。そこでキレート水の話を聞き、試飲用にもらった3日分を、自分の分もご主人に飲ませてみました。それが平成13年8月のことでした。


◎歩けなかった主人が駆け出した!
「キレート水を飲ませて3日目に、本当に驚くことが起きました。ちょうど病院へ行く日でしたので、いつものようにタクシーを呼んで出かけようとしたのですが、靴をはいて玄関にでると主人が私の前をスタスタと歩き出したのです。こんなこと、10年以上なかったものですからびっくりして『どうしたの?』と聞くと、『今日はなんだか足が軽いんだよ。歩いて行こう』と言うのです。それでバスに乗って行ったんです。
 それだけじゃありません。帰りもバスで帰ることにして、歩いてバス停に向かっていると、主人が『バスが来た』と言って駆けだすではありませんか。転びでもしたら大変と私は慌てましたけど、本人はケロッとしていました。バスに乗ってから何ということもない主人の顔を見て、あらためて胸がいっぱいになってしまいました。
 これは良いと思って、その後もキレート水を購入して毎日80~100ccずつ飲ませると目をみはるほどに元気になっていって、毎日主人を見ているのが楽しみになりました。
 最近ではときどき買物にも出かけますし、病院へは一人で行くようになりました。いちばん驚いたのは、一人で自転車で石油を買いに行ったことです。本当にこんなこと、考えられなかったものですから、夢のようです。娘たちをはじめ、近所の方々も『このごろずいぶん元気になったわね』と言ってくださいます。
 薬は、以前から6種類ほど飲んでいたのですが、半年前からいっさい飲ませないことにしました。それでも血液検査で『順調です』と言われました。『薬が効いてきましたね』と先生が言うので『ハイ』と答えてきたと、主人が笑って言っていました。
 現在ではキレート水は1日に30~50ccと量を減らしましたが、続けて飲んでいます。これはもう死ぬまで飲みつづけるんだろうねと、主人と話しています。もちろん私も一緒に飲んでいます」(澄江さん)
 ずっと35キロ台だった安藤さんの体重は、キレート水を飲みはじめて少しずつ増えていき、現在では38キロになったそうです。本人も体調が良く、残りの人生を生き抜く自信をもって毎日生活しているそうです。


製品情報

恵 心 (けいしん)

ミネラルは免疫力と大きな関係を持ちます。
水の分子は大きく、体に吸収するには効率は良くありません。
この分子を1/10にしてミネラルを効率よく吸収しやすく開発されたのが 【キレート水 恵心】

ミネラルは身体で作ることができない、5大栄養素の一つです。

~疲れやすい方に 健康維持~
天然成分100%で、ミネラルを 効率よく体内に取り込む、 バイオ技術によって生まれた自然派健康飲料水です。

製品名 恵心
容 量 720ml
主な原材料 大豆・トウモロコシ・米糠・杜仲の葉・朝鮮人参
価 格 1本あたり 6,000円(税別)
計量コップ付
入 数 12本
発売元 木村微生物研究所
お召し上り方 付属の計量カップで食前に一日30cc~
60ccを 目安にお飲みください。
保存方法 開封前 高温、直射日光を避けてください。
開栓後は要冷蔵
ご注文
お問合せ
電話:06-6349-9513
担当 石崎 090-3941-7537
無料相談いたします。お気軽にご連絡ください。
メール:info@kind.jpn.com
株式会社カインド 
摂津市一津屋1丁目13番17号
恵心スペシャルⅡ

恵心の分子をさらに1/10にし、水の1/100まで小さくしたのが【恵心スペシャル】です。

~病気がちの方に~
※ 恵心との違いは、濃度が違います。濃縮度 恵心の5倍

製品名 恵心スペシャルⅡ
容 量 720ml
主な原材料 大豆・トウモロコシ・米糠・杜仲の葉・朝鮮人参
価 格 1本あたり 15,000円(税別)
計量コップ付
入 数 6本
発売元 木村微生物研究所
お召し上り方 付属の計量カップで食前に一日30cc~
50ccを 目安にお飲みください。
保存方法 開封前 高温、直射日光を避けてください。
開栓後は要冷蔵
ご注文

お問合せ
電話:06-6349-9513
担当 石崎 090-3941-7537
無料相談いたします。お気軽にご連絡ください。
メール:info@kind.jpn.com
株式会社カインド 
摂津市一津屋1丁目13番17号
恵 丹 (けいたん) 

飲みやすく、いつでもどこでも摂取できるよう、携帯するために開発されたのが恵丹です。

バイオ技術によって出来た自然派健康食品 主原料は良質の大豆とトウモロコシで、これらを長時間バイオ発酵させて濾過抽出しています。さらに中国4000年の昔から高貴なお茶として重宝されてきた杜仲の葉や、滋養豊かな万能食品である朝鮮人参を加え、 味や匂いなどの癖がなく飲みやすい携帯に便利な自然派高級健康食品です。

~病気がちの方に 携帯用~

飲みやすく、携帯用に便利です。高品質 田七人参を付加 Ca Mg Seのミネラル配合

濃縮度 恵心の10倍以上

製品名 恵 丹 (けいたん) 
容 量 カプセル 120粒
主な原材料 デキストリン、ゼラチン、乳糖、 大豆、トウモロコシ、杜仲の葉、 ショ糖エステル
価 格 1本あたり 30,000円(税別)
入 数 4瓶
発売元 有限会社 自然療法研究所NHI
お召し上り方 一日1~3粒を目安に 水またはぬるま湯で お召し上がりください。
食前にお召し上がりください。
保存方法 開封前 高温、直射日光を避けてください。
開栓後は要冷蔵
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電話:06-6349-9513
担当 石崎 090-3941-7537
無料相談いたします。お気軽にご連絡ください。
メール:info@kind.jpn.com
株式会社カインド 
摂津市一津屋1丁目13番17号